祖父のこと
- 2016/05/31
- 18:33
祖父は苦労人で、赤貧の中から身を起こした。
現在の県立宇和島東高等学校(セカチューの片山恭一やK-1の石井和義らは卒業生)の前身の一つである宇和島商業学校を出た後、どういう成り行きかは今となっては判らぬが、伊達家に奉職して、旧宇和島藩主伊達家11代当主・伊達宗彰(1905~1969)に仕えた。
一般の方は、「伊達」と言えば、仙台を思い浮かべられることと思うが、宇和島藩は慶長十九年(1614)に伊達政宗の庶長子・秀宗(1591~1658)が入城して成立した藩で、十万石の小藩ながら、幕末の政局など其の与えた影響は無視出来ないものがある。
祖父は、東京の伊達事務所で働き、伊達家の援助で明治大学の商学部を卒業した。
公益財団法人 宇和島伊達文化保存会に問い合わせたところ、昭和三年の職員名簿に会計として名前が記載されていることを教えられたが、祖父の痕跡が伊達家の記録に留められていたことは嬉しかった。
戦中は近衛兵となり、香川の善通寺(今自衛隊の駐屯地になっている)で終戦を迎え、その後は大阪に移住し、今の(株)立花エレテックの前身・立花商会に入社、取締役を務め、65歳で退職したが、経理出身で初めて社長となった仲田氏は祖父の部下だった人らしい。
今となっては祖父を知る人もほとんど死に絶え、我々身内の数名が其の名を記憶しているのみである。
こうして人は歴史の流れの中にひっそりと身を沈めて消えて行くものらしい。
祖父の弟・友喜は、昭和18年、ソロモン諸島の戦いに散った。
今も冷たい海の底に眠る大伯父。
宇和島にあった頃の一族の旧墓碑には其の名が刻まれていたが、新墓碑にはもう大叔父の名は無い。
一時帰艦の際、土産に持ち帰った象牙製の麻雀牌一式だけが巡り巡って私の手元にある。
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