私的読書法
- 2016/07/30
- 17:28
読書の方法など、文字通り十人十色で、読書家の数だけ異なったやり方があると言えるかもしれない。
そして、その方法も普通は長い年月をかけて作り上げられていくものであろう。
しかし、娯楽小説を楽しむが如き暇つぶしの読書ならいざ知らず、何らかの知的生産活動を前提として書物に取り組むなら、それに適した読書の方法をなるだけ早いうちに確立するのが望ましいと最近とみに感じるところがある。
書店に行くと、読書論や読書の技術を扱った本が随分並んでいるようだ。
そのような本はこれまで山のように書かれて来たし、これからも書かれていくことだろうが、それだけ沢山似たような本が書かれて来たということ自体が、万人共通のやり方など存在しないという何よりの証でもある。
それに、第一級の文化人やジャーナリストの仕事術など読んだところで、我々一般人にどれだけ役立つのかは怪しいところだ。
しかし、庵主の如き、しがない一般大衆の一人ではあるが、時にささやかな文章を書くこともあるというような人間の読書法というのは、案外普通の人には役に立つところがあるかもしれない。
そこで、今日は蒼流庵的読書法について少々書いてみたいと思う。
まず、読書は短期集中型を基本とし、或るテーマに取り組む時は関連の本ばかり集中して読むようにしている。
ただし、一冊ずつ最初から最後まで目を通すのが基本。
多読家には何冊もの本を同時進行で読み進める併読派が少なくないらしいが、よくそんな器用なことが出来るものだと感心する。
この手合いは、アウトプットを前提としない単なる雑学屋の類が多いような気がしているのだが、果たしてどうか。
線引きは基本的にしない。
線を引くのは結構面倒だし、定規無しに引いたガタガタの線が目に入ってイラっとするのは独り庵主だけでもなかろう。
線引きの代わりに、私は「✔」「○」「|」のような三種類程度の印を使うことにしている。
例えば、「✔」は重要な個所、「○」はレトリック上気に入った個所、「|」は「✔」ほどではないが参考になりそうな個所に用いている。
誤植を除いて明らかな誤りのある記述には「×」、よく分からない個所には「?」だ。
読み終わったら、「✔」を付けた個所をwordに打ち込むのだが、本を開いたままでPCに打ち込んで行くのは大変なので、「✔」を入れた頁を片っ端からデジカメで撮影してPCに取り込んでから打ち込み作業に入る。
こうしないと妙な姿勢での作業を強いられるし、両手がフリーにならないのだ。
抜き書きを作成する上で重要な点は、頁数を毎度書いておくことで、すぐに該当箇所に辿り着ける様にするべきである。
抜き書きの前後の文章が後々重要になって来ることも多い。
wordで作成したこのような勉強ノートは検索機能が使えるので非常に便利である。
論文などを執筆する際の参考には、その都度、このノートから関連する個所を再び抜き出して別のwordファイルに集め、それを基にして構想などを練っていくことが多い。
なお、こうして勉強ノートを作っているのは、今のところ支那学と易学の分野だけで、他の分野では作成していない。
読書法というよりは勉強ノートの作り方といった方が適切だろうが、何らかの分野にライフワーク的に取り組んで行くような場合にも、こうして自分なりの勉強ノートを作成して行くのは重要だろうと思うので、読者諸賢のご参考になればと記事にした次第である。
そして、その方法も普通は長い年月をかけて作り上げられていくものであろう。
しかし、娯楽小説を楽しむが如き暇つぶしの読書ならいざ知らず、何らかの知的生産活動を前提として書物に取り組むなら、それに適した読書の方法をなるだけ早いうちに確立するのが望ましいと最近とみに感じるところがある。
書店に行くと、読書論や読書の技術を扱った本が随分並んでいるようだ。
そのような本はこれまで山のように書かれて来たし、これからも書かれていくことだろうが、それだけ沢山似たような本が書かれて来たということ自体が、万人共通のやり方など存在しないという何よりの証でもある。
それに、第一級の文化人やジャーナリストの仕事術など読んだところで、我々一般人にどれだけ役立つのかは怪しいところだ。
しかし、庵主の如き、しがない一般大衆の一人ではあるが、時にささやかな文章を書くこともあるというような人間の読書法というのは、案外普通の人には役に立つところがあるかもしれない。
そこで、今日は蒼流庵的読書法について少々書いてみたいと思う。
まず、読書は短期集中型を基本とし、或るテーマに取り組む時は関連の本ばかり集中して読むようにしている。
ただし、一冊ずつ最初から最後まで目を通すのが基本。
多読家には何冊もの本を同時進行で読み進める併読派が少なくないらしいが、よくそんな器用なことが出来るものだと感心する。
この手合いは、アウトプットを前提としない単なる雑学屋の類が多いような気がしているのだが、果たしてどうか。
線引きは基本的にしない。
線を引くのは結構面倒だし、定規無しに引いたガタガタの線が目に入ってイラっとするのは独り庵主だけでもなかろう。
線引きの代わりに、私は「✔」「○」「|」のような三種類程度の印を使うことにしている。
例えば、「✔」は重要な個所、「○」はレトリック上気に入った個所、「|」は「✔」ほどではないが参考になりそうな個所に用いている。
誤植を除いて明らかな誤りのある記述には「×」、よく分からない個所には「?」だ。
こんな感じ
読み終わったら、「✔」を付けた個所をwordに打ち込むのだが、本を開いたままでPCに打ち込んで行くのは大変なので、「✔」を入れた頁を片っ端からデジカメで撮影してPCに取り込んでから打ち込み作業に入る。
こうしないと妙な姿勢での作業を強いられるし、両手がフリーにならないのだ。
抜き書きを作成する上で重要な点は、頁数を毎度書いておくことで、すぐに該当箇所に辿り着ける様にするべきである。
抜き書きの前後の文章が後々重要になって来ることも多い。
こんな感じ
wordで作成したこのような勉強ノートは検索機能が使えるので非常に便利である。
論文などを執筆する際の参考には、その都度、このノートから関連する個所を再び抜き出して別のwordファイルに集め、それを基にして構想などを練っていくことが多い。
なお、こうして勉強ノートを作っているのは、今のところ支那学と易学の分野だけで、他の分野では作成していない。
読書法というよりは勉強ノートの作り方といった方が適切だろうが、何らかの分野にライフワーク的に取り組んで行くような場合にも、こうして自分なりの勉強ノートを作成して行くのは重要だろうと思うので、読者諸賢のご参考になればと記事にした次第である。
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