湯島聖堂へ
- 2016/08/23
- 22:14
湯島聖堂と言えば、江戸時代官学の中心地として威容を誇った場所であるが、不思議と長らく足を運ぶ機会が無かった。
恐らくは、公定の学問という鼻持ちならない権威主義的気配を、潜在意識が嫌悪した為かと思われるが、これまで散々、昌平黌絡みの易儒を取り上げてきて、肝心の本拠地に足を踏み入れていなかったのだから、考えてみれば滑稽な話だ。
今回、大友先生のサプライズ会前の空き時間を利用して足を延ばしたが、これとて、御茶ノ水に向かったのは、最近の気に入り「神田アクアハウス江戸遊」を利用するついでに過ぎなかったのである。
もっと言えば、湯島聖堂というのは湯島天神内にあるものとばかり思い込んでおり、「何言ってんだい、蒼流庵ちゃん。湯島聖堂と湯島天神は全然別だぜ、しっかりしとくれよ」と庵主の蒙を啓いてくれたのは、我が奈良場勝先生である。
仰高門(一般見学者用の入り口)
前身となったのは、羅山を一世とする林家の家塾で、羅山邸内に設けられた孔子廟(先聖殿)を元禄三年(1690)に徳川綱吉が現在地に移した。
以後、半官半民の学問所であったが、寛政九年(1797)に林家の手を離れて幕府直轄の昌平坂学問所(孔子の生地である「昌平郷」にちなむ)となったもの。
大成殿
大成とは、孔子廟の正殿の名称で、本来、「湯島聖堂」とはこの建物を指している。
もっとも、建物は大火や震災によって度重なる損壊と再建を繰り返しており、現在我々が目にしているのは、昭和十年に鉄筋コンクリート造で再建されたものだ。
斯文会舘裏手にある孔子様の銅像は、昭和五十年に中華民国台北市 ライオンズ・クラブから寄贈されたもので、孔子の銅像としては世界最大のものという。
これぞ、権威主義の象徴・斯文会舘!
案内板には、斯文会舘で催されている何やら小難しそうな御稽古事の数々がズラリと並べられている。
安岡正篤氏の令孫・安岡定子女史(1960~)による「こども論語塾」なども開催されているようだ。
スポンサーサイト