岡村閑翁の墓
- 2016/08/26
- 20:17
岡村閑翁墓(生駒山中)
岡村閑翁(1827~1919)は、文政十年に藤川冬斎(1796~1869)の次男として生まれ、名は達、字は仲章、通称を鼎三といい、閑堂・閑翁と号した。
父は大和郡山藩の儒者で、徂徠学を学んで後、頼山陽に師事し、陽明学にも傾倒して、藩校総稽古所の督学を務めた。
父と親交のあった森田節斎(1811~1868)に学び、父と同じく大和郡山藩に仕えて藩校教授となり、吉田松陰、伴林光平ら尊攘派と交わる。
文久二年(1862)には柳生藩に仕え、同藩家臣・岡村氏の養子となった。
明治維新後は生駒山麓にある大乗滝寺の友月亭に隠棲して多くの子弟を育成し、大正八年に九十三歳で死去した。
没後、『閑翁遺稿』全三巻が刊行されている。
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