山田方谷史跡あれこれ
- 2016/09/03
- 19:46
高梁市には、高梁川に沿って、山田方谷関連の史跡が点在しており、墓所のある方谷園を除けば、あとは電車でも容易に巡ることが可能である。
180号線沿いの八重籬神社には、三島中洲撰文の方谷山田先生墓碣銘があり、明治12年建立の大変立派なものである。
同神社内には、方谷の七絶詩を刻んだ詩碑や門人の顕彰碑など石碑が随分多い。
県立高梁高等学校の東側には、方谷の私塾・牛麓舎跡を示す石碑が建っている。
八重籬神社や牛麓舎跡のあるJR備中高梁駅から三駅北側には方谷の名を冠した駅がある。
方谷駅のホームから東側の山手を望むと、方谷の旧宅跡を示す石碑がある(現在は残念ながら石碑付近への立ち入りは禁止されている)。
もっとも、実際の旧宅はここではなく、もっと南の方だったらしい。
高梁市からは随分離れるが、備前市の蕃山にも方谷の宅跡碑(備前市指定史跡)がある。
方谷は、閑谷学校(江戸時代前期に岡山藩によって開かれた庶民のための学校で、講堂は国宝に指定されている)再開のため岡山の有志に招かれて、明治六年に閑谷に来学した。
当時、生徒は20~30人であったが、翌年には100人になったといわれる。
門弟らは、熊沢蕃山の宅跡近くに草廬を築いて方谷の遊息の場とした。
方谷は、春秋の二回、各1~2ヵ月ほど来校するだけではあったが、この草廬を大変に愛し、生徒も二十人ほど寄宿していたという。
場所は、千手院正楽寺(岡山県備前市蕃山1305)の西、新幹線の線路を越えた北側にある。
方谷山田先生碑(八重籬神社/岡山県高梁市内山下120)
180号線沿いの八重籬神社には、三島中洲撰文の方谷山田先生墓碣銘があり、明治12年建立の大変立派なものである。
同神社内には、方谷の七絶詩を刻んだ詩碑や門人の顕彰碑など石碑が随分多い。
牛麓舎跡(高梁市御前町42)
県立高梁高等学校の東側には、方谷の私塾・牛麓舎跡を示す石碑が建っている。
方谷駅
八重籬神社や牛麓舎跡のあるJR備中高梁駅から三駅北側には方谷の名を冠した駅がある。
山田方谷先生旧宅址
方谷駅のホームから東側の山手を望むと、方谷の旧宅跡を示す石碑がある(現在は残念ながら石碑付近への立ち入りは禁止されている)。
もっとも、実際の旧宅はここではなく、もっと南の方だったらしい。
方谷先生舊廬址(備前市蕃山)
高梁市からは随分離れるが、備前市の蕃山にも方谷の宅跡碑(備前市指定史跡)がある。
方谷は、閑谷学校(江戸時代前期に岡山藩によって開かれた庶民のための学校で、講堂は国宝に指定されている)再開のため岡山の有志に招かれて、明治六年に閑谷に来学した。
当時、生徒は20~30人であったが、翌年には100人になったといわれる。
門弟らは、熊沢蕃山の宅跡近くに草廬を築いて方谷の遊息の場とした。
方谷は、春秋の二回、各1~2ヵ月ほど来校するだけではあったが、この草廬を大変に愛し、生徒も二十人ほど寄宿していたという。
場所は、千手院正楽寺(岡山県備前市蕃山1305)の西、新幹線の線路を越えた北側にある。
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