熊沢蕃山史跡あれこれ
- 2016/09/04
- 08:03
方谷の草廬が熊沢蕃山宅跡の傍に建てられたのは、方谷が蕃山に心酔していた為であった。
宅跡近くにある写真の碑は備前焼のレリーフを嵌め込んだもので、平成三年に建碑された。
明暦三年(1657年)、蕃山は当時の知行地である寺口村と呼ばれていた村を蕃山と改め、四十三歳で村を離れるまでの四年間、ここで同志十一人と共に暮らした。
宅跡碑は、文政元年(1818)に建てられたもの。
蕃山宅跡北東の山中には、両親の墓所(左が父一利、右が母亀)がある。
なんとなく案内版だけ見ると、チョイチョイっと行けそうな感じがするが、結構足場の悪い山道を登らなくてはならず、墓所があるのは尾根付近であることを書き添えておく(徒歩何分とか書けよな、ったくヨ)。
熊沢蕃山陶像
宅跡近くにある写真の碑は備前焼のレリーフを嵌め込んだもので、平成三年に建碑された。
息遊軒蹟址碑
明暦三年(1657年)、蕃山は当時の知行地である寺口村と呼ばれていた村を蕃山と改め、四十三歳で村を離れるまでの四年間、ここで同志十一人と共に暮らした。
宅跡碑は、文政元年(1818)に建てられたもの。
熊沢蕃山の両親の墓
蕃山宅跡北東の山中には、両親の墓所(左が父一利、右が母亀)がある。
なんとなく案内版だけ見ると、チョイチョイっと行けそうな感じがするが、結構足場の悪い山道を登らなくてはならず、墓所があるのは尾根付近であることを書き添えておく(徒歩何分とか書けよな、ったくヨ)。
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