巌村南里~香川易儒墓参録~
- 2016/09/06
- 18:15
巌村南里墓(法音寺/香川県丸亀市南条町4)
易儒墓参録の連載をしていたのは、振り返ればもう二年以上前のことで、それ以降は散発的に易学関連の史跡の記事を上げる位であったが、この二年間も地道な調査は継続していた。
ある程度数も溜まってきたので、まずは西日本から、順に御紹介して行きたい。
巌村南里(1784~1842)は、天明四年に讃岐丸亀藩士巌村親房の男として生まれ、名は秩、字は大猷、通称を半右衛門といい、南里・辣庵と号した。
寛政八年(1796)、大阪の中井竹山の塾に入り、文化元年(1804)には尾藤二洲に従学、帰郷後、藩校正明館の教授となった。
一時、職を辞して備後神辺の菅茶山(1748~1827)の廉塾に寄寓したが、のち藩の側儒者・政事加談役・郡奉行・寺社奉行などを務めた。
天保十年(1839)、『西讃府志』編纂の総裁となった。
易書に
『周易本義質疑』
『周易本義疏鈔』
がある。
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