山口剛斎~島根易儒墓参録~
- 2016/09/10
- 11:40
山口剛斎墓(永太院/島根県鹿足郡津和野町後田106)
山口剛斎(1734~1801)は、享保十九年に大阪で生まれ、名は純実・景徳、字は正懋・剛翁、通称を剛三郎といい、剛斎・梅盧・西月・一徳斎・一徳・顔其斎と号した。
学を兄重明に受け、禅・神道を学んだ後、飯岡義斎(1717~1789)に入門。
久米訂斎と親しく交わり、山崎闇斎の学を修めた。
越後流兵法の奥義も究め、国典も能くし、大阪で私塾を開いて教育した。
天明五年(1758)、石見津和野藩に招かれて藩儒となり、藩校・養老館創設に参加、禄百石。
教授となり、闇斎の学統を重んじた教育の基礎を確立した。
藩校から人材が輩出し、また家学は継承され、藩文化に貢献した。
易書に、
『周易鼓缶』
がある。
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