小篠敏~島根易儒墓参録~
- 2016/09/12
- 18:06
小篠敏墓(観音寺/島根県浜田市真光町63)
小篠敏(1728~1801)は、享保十三年に三河西尾藩士・田淵玄統の次男として生まれ、名は敏・御野、字は徳卿、通称を十助・道冲・大記といい、東海・轡竜・篠舎と号した。
京都で、山脇東洋、稲田大道に学ぶ。
宝暦二年(1752)、浜田藩医・小篠秀哲の養子となり、明和二年(1765)に養家を嗣ぎ、三河岡崎藩主・松平康福(1719~1789)の侍医・儒臣となって、のち藩主の転封に従って浜田に移った。
江戸出府中には、松崎観海(1725~1776)に儒学を学び、特に易学を能くした。
また、安永五年(1776)、伊勢松阪の本居宣長を訪ね、同九年、入門して国学を学んだ。
易書に、
『易翼詳解』
『周易証象』
『周易蠡測』
がある。
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