桃白鹿~島根易儒墓参録~
- 2016/09/16
- 18:53
桃白鹿墓(天倫寺/島根県松江市堂形町589)
桃白鹿(1722~1801)は、享保七年に医師・坂根幸悦の長男として生まれ、名は盛、幼名は友之助・友太郎・硯次郎、字は茂功・子深、通称を源蔵・大蔵・題蔵といい、百川・白鹿と号した。
浜田は専称寺の漂竜和尚に習字・素読を学び、享保二十年、江戸に遊学。
翌年、暦算家・桃東園(1687~1760)に其の学才を認められて養子となった。
寛保元年(1741)、林門に入り、榴岡(1681~1758)・鳳谷(1721~1773)に学び、のちしばしば聖堂で経書を講じた。
宝暦七年(1757)、出雲松江藩儒となり、翌八年、養父の許しを得て松江に移り、創設された藩校文明館(のち明教館)で、享和元年(1801)まで教授を務めた。
後藤芝山(1721~1782)・柴野栗山(1736~1807)・関松窓(1727~1801)らと親交があった。
易書に、
『易経国字解』
がある。
墓碑は、生田永貞と同じく天倫寺の桃家墓域に現存するが、全面剥落が進み、どうにか特定出来たような状態。
桃西河墓
桃家墓域には、他に白鹿の養嗣子・桃西河(1748~1810)の墓碑もあり、こちらは碑文も綺麗に読み取ることが出来る。
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