伊藤宜堂~鳥取易儒墓参録~
- 2016/09/18
- 18:09
伊藤宜堂墓(東祥寺/鳥取県日野郡江府町江尾493-2)
伊藤宜堂(1792~1874)は、寛政四年に伯耆国江尾村で生まれ、名は雅言、字を俊蔵といい、宜堂・不如及斎と号した。
文化二年(1805)、因幡鳥取藩家老の荒尾家に、同五年、京都の正親町三条家に仕えた。
同十年、江戸に出て朝川善庵・佐藤一斎に学び、島田元旦(1778~1840)・菊池五山(1769~1849)らと交わり、文政八年(1825)に帰郷。
天保六年(1835)、出雲塩冶村に有隣塾を開き、二十八年間教えた。
文久二年(1862)、鳥取藩に招かれ、溝口郷校を創設した。
書を能くした。
易書に、
『周易包蒙』
『周易包蒙撮要』
『周易包蒙約解』
がある。
昔、宜堂の易説について薮田嘉一郎先生が『易学研究』誌上で解説されたことがあったと記憶している。
東祥寺にある墓碑は、何やら風変わりなものだが、墓碑は風化して土に帰るものにしたいという宜堂の遺言によって強固でない材が選ばれたものらしい。
もともとは、現在の何倍もの高さがあったという。
伊藤宜堂先生之碑
東祥寺の境内には、昭和三年に建立された顕彰碑があり、碑銘は陽明学者・高瀬武次郎(1869~1950/京都大学名誉教授)の揮毫である。
宜堂先生墓(神門寺/島根県出雲市塩冶町821)
出雲の神門寺には、門弟たちが宜堂の爪髪を埋めた供養墓と三島中洲撰文の頌徳碑(明治14年建立)とがある。
伊藤宜堂頌徳碑
スポンサーサイト