乾長孝~鳥取易儒墓参録~
- 2016/09/20
- 19:11
乾長孝墓(乾氏墓地/鳥取県八頭郡八頭町坂田)
乾長孝(1741~1798)は、寛保元年に岡山藩家老・池田俊清(1707~1765)の次男として生まれ、名は長孝、幼名は八次郎、字は子肥、通称を甲斐・平右衛門といった。
鳥取藩家老・乾豊長の養子となって、宝暦八年(1758)に乾の家督を嗣ぎ、家老職を務めた。
好学博識で、武芸に通じた。
易書に、
『繋辞不言解』
がある。
乾氏の菩提寺は船岡の西来寺であったが、同寺は明治の初めに廃寺になり、現在は、乾氏の墓地と西来寺の上人墓を残すのみで、寺跡を確認出来るものはない。
墓所は、船岡トレーニングセンターの裏山に在る。
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