芥川丹邱墓
芥川丹邱(1710~1785)は、宝永七年に生まれ、名は煥、字は彦章、通称を清太郎・采女といい、丹邱・養軒・薔薇館と号した。
初め大町敦素(1659~1729)に、のち宇野明霞(1698~1745)・
伊藤東涯に、江戸で
服部南郭に学び、宇野士朗(1701~1732)・田中大観(1710~1735)らと初めて京都に徂徠学を提唱したが、のち陽明学に転じた。
易書に
『古易鑑』
『古易鍵』
『周易象解』
『春秋卜筮解』
がある。
丹邱の墓碑は京都の大雲院に在りとの記載が
『京都名家墳墓録』にあった為、青木良仁先生と共に探しに出向いたのは2013年の春のことであるが、墓碑を見つけることは出来なかった。
かつて寺町四条に在った大雲院は、周囲が繁華街となったことで、髙島屋京都店増床に伴い、1972年に現在の東山区祇園町に移転しており、恐らくはこの移転時に処分されたものと思い、しばらく忘れていたのだが、最近になって、南越ハカマイラーの
ちゃお・めいさんより、洛北に移転していることを教えて頂いた。
移転後に、墓碑は花崗岩で再建され、旧墓碑は向かい合わせにある無縁墓域の中に安置されている。
旧墓碑
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