杉山竹外~群馬易儒墓参録~
- 2016/10/24
- 18:12
杉山竹外墓(善長寺/群馬県館林市当郷町1975)
杉山竹外(1811~1877)は、文化八年に杉山維敬の四男として生まれ、名は魁、字は春郷・大魁、通称を四郎といい、竹外と号した。
代々、山形藩主秋元氏に仕え、山形に住す。
父の没後、十四歳で江戸に出て、古畑玉函(1778~1848)に師事し、のち昌平黌に学ぶ。
嘉永六年(1853)、ペリーの浦賀来航に際して房総の巡視に従い、翌七年、露国の使節が下田に到る際も赴いた。
明治二年、上州館林藩主・秋元礼朝(1848~1883)は、竹外を館林に招いて学政に当たらせた。
憂国の志深く、書も巧みであった。
易書に、
『周易横図』
『周易象義』
がある。
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