鈴木石橋~栃木易儒墓参録~
- 2016/10/26
- 18:58
鈴木石橋墓(雲龍寺/栃木県鹿沼市寺町1351)
鈴木石橋(1754~1815)は、宝暦四年に下野鹿沼の富裕な農商家に生まれ、名は之徳・至徳、字は沢民、通称を四郎兵衛といい、石橋・麗沢之舎・閑翁と号した。
江戸に出て、安永六年(1777)関松窓(1727~1801)の紹介により林家塾に入門、湯島聖堂仰高門日講の講授を務める。
帰郷後、麗沢之舎を開いて門弟を教導、のち宇都宮藩に召されて学政に参与。
貧民の子供の養育を援助し、また、飢饉に際して私財を投ずるなど公益に尽くした。
易学に通じ、門人に蒲生君平(1768~1813)らが居る。
易書に、
『周易象義』
がある。
ご子孫は菩提寺の近くで内科を営まれており、医院横には、昭和42年に建てられた説明板がある。
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