宮本篁村~茨城易儒墓参録~
- 2016/10/27
- 18:24
宮本篁村墓(浄国寺/茨城県潮来市潮来1008)
宮本篁村(1788~1838)は、天明八年に常陸行方郡潮来村年寄役・宮本平右衛門高重の長男として生まれ、名は鉉、字は士鉉・伯鼎、通称を鼎吉といい、篁村と号した。
二十歳の頃、弟の茶村(1793~1862)と共に江戸に出て、山本北山に入門し、折衷学を学ぶ。
のち諸国を遊歴し、文政(1818-30)頃、陸前仙台に到り、僧宗阿(1771~1848)・鈴木松嵐・新井藤里らと交遊。
仙台櫓町に私塾を開き、多くの弟子を教えた。
易書に、
『周易諸説考異』
『周易正象』
がある。
弟の茶村の墓は、何故か浄国寺の外、西側の一角にあり、兄とは比べ物にならない位の扱いを受けている。
もと宮本家のあった場所に建てられたものらしい。
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