白井重行~山形易儒墓参録~
- 2016/10/29
- 10:01
白井重行墓(井岡寺/山形県鶴岡市井岡甲199)
白井重行(1753~1812)は、庄内藩士・白井久右衛門茂貞の長男として宝暦三年に生まれ、名は重行、字は子徳、通称を矢太夫・弥太由といい、東月と号した。
初め、加賀山桃李(1722~1787)のもとで儒学を修め、安永九年(1780)江戸に遊学するが、天明二年(1782)帰藩し、同四年、家督を嗣ぐ。
寛政五年(1793)郡代となり、農政改革を行って徳政を敷き、同十二年、鳥海山麓に新田を開拓。
文化二年(1805)、藩校致道館開設の功で祭酒兼司業に選ばれ、同五年、中老に進む。
家老・水野元朗(1692~1748)の娘を妻とし、藩内放逸派の首領と目されたが、同八年、赤敬派のために退けられて隠居。
易書に、
『周易解』
『周易断叢』
がある。
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