田中適所の墓~福井漢方史跡~
- 2016/11/14
- 18:06
田中適所の墓(龍泉寺/福井県越前市深草1-10-3)
田中適所(1725~1801)は、享保十年に田中希尹(1675~1750)の三男として生まれ、名は允孚、字を信蔵といい、適所・必大と号した。
奥村良竹に学ぶ傍ら京都に遊学。
宝暦五年(1755)、越前府中大門町に開業、安永四年(1775)には京都に居を移して診療し、また医・経書を講じた。
阿波徳島藩儒医・越前鯖江藩儒を経て、寛政元年(1789)、福井に移住した。
書にも通じ、篆書を能くした。
著書に、
『医事譚』
など。
適所の養嗣子となったのが、以前に易儒としてご紹介した田中履堂である。
石橋重吉(1871~1953)の『若越墓碑めぐり』(1932年刊)によると、福井市の瑞源寺にも適所の墓碑や行状碑が在ったらしいが、先代の住職が昭和60年代に無縁墓碑を大規模に整理した際に巻き添えになって処分されてしまったらしい。
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