津田玄仙の墓~千葉漢方史跡~
- 2016/11/17
- 18:31
津田玄仙墓(波岡寺墓地)
津田玄仙(1737~1809)は、元文二年に磐城白河藩医・津田玄琳の男として生まれ、名は兼詮、通称を玄仙といい、積山・屏塵舎と号した。
父と水戸の芦田松意、及び京都の饗庭道庵に医学を学び、初め江戸で開業、のちに上総馬籠(千葉県木更津市)の田村家の養子となって、同地で医を業とした。
著作に、
『療治茶談』
『勧学治体』
など。
玄仙の墓碑は二基あって、かつては両方とも木更津市畑沢の田村家敷地内にあったが、本墓は平成五年に波岡寺墓地(玄仙の菩提寺は馬籠の能満寺であったらしいが、同寺はその昔に消失して波岡寺と合併し、跡地は現在能満寺公園になっている)に移され、田村家に残された方の墓碑は門下生によって建てられたものである。
庵主が本年三月に掃苔した際は、田村家の夫人が大変丁寧に応対して下さり、玄仙の書物などを拝見することが出来たが、ゆかりの品の殆どは市内の博物館に貸し出されているということであった。
積山田村先生之墓(田村家内)
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