呉秀三の墓~医史跡番外編~
- 2016/11/25
- 18:42
呉家累代墓(多磨霊園)
日本医史学会は、言わずと知れた我が国医史学の中心であり、日本医学会の第一分科学会である。
設立に当たっては、例によって富士川游が大きな役割を果たしているので、初代の御頭も当然富士川だろうと漠然と思っている人も少なくないらしいが、実際には初代理事長は呉秀三(1865~1932)で富士川は三代目を務めた。
呉秀三の名は、医史学においては富士川游に押されがちなところがあるが、日本における精神病学の創立者として、その分野では実に名高い存在であるらしく、日本の近代精神医学者の殆んどが、呉の系譜に連なるということだ。
富士川と共に選集校定に当たった『東洞全集』については以前ご紹介している。
余談だが、庵主は今年三月に呉秀三の掃苔を試みた際、秀三の子が西洋古典学の呉茂一(1897~1977)であることを知った。
呉茂一の『ギリシャ神話』(1950年刊)は、今も新潮文庫に入っていて版を重ね続けているし、岩波文庫の『ギリシア・ローマ抒情詩選』、『オデュッセイアー』などの優れた訳業は早くに蒼流庵蔵書に収められていたのだから、全くもって不覚の至りである。
墓所には、没後五十年を記念して建てられた顕彰碑(裏面は墓誌)がある。
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