泊園書院跡碑
- 2016/12/21
- 06:04
明治六年の藤沢南岳による再興から三年後、泊園書院は淡路町一丁目東北角に移転され、昭和三十五、大阪市教育委員会によって泊園書院跡を示す碑が淡路町一丁目4-4に建てられた。
庵主が此の碑を見る為、同地を訪れたのは本年初めのことであるが、ビル工事の為、養生されていて碑を目にすることが出来ず、四月半ばに再訪したところ、なんと解体工事の際に落下物の直撃を受けて、泊園書院跡碑は根元からボッキリと折れて仕舞っていた。
碑の写真を撮る為、工事のおっちゃんの手を借りて碑の角度を二度変えてもらい、(ヤサ男の庵主ではビクともしなかった)撮影したのが、上掲の写真。
おっちゃん曰く、
「役所に連絡して一か月になるんやけど、何の連絡もしてきよらん」
今月初めに、久しぶりに現場を訪れてみたが、市の財政難によるものか、碑の再建された気配はなく、泊園書院跡はコインパーキングとして整備されていた。
ちょうど右側の自販機のある辺りに、泊園書院跡碑が在ったのだが、今ではツワモノドモガユメノアトである。
庵主が此の碑を見る為、同地を訪れたのは本年初めのことであるが、ビル工事の為、養生されていて碑を目にすることが出来ず、四月半ばに再訪したところ、なんと解体工事の際に落下物の直撃を受けて、泊園書院跡碑は根元からボッキリと折れて仕舞っていた。
無残なり、泊園書院跡碑!
碑の写真を撮る為、工事のおっちゃんの手を借りて碑の角度を二度変えてもらい、(ヤサ男の庵主ではビクともしなかった)撮影したのが、上掲の写真。
おっちゃん曰く、
「役所に連絡して一か月になるんやけど、何の連絡もしてきよらん」
今月初めに、久しぶりに現場を訪れてみたが、市の財政難によるものか、碑の再建された気配はなく、泊園書院跡はコインパーキングとして整備されていた。
ちょうど右側の自販機のある辺りに、泊園書院跡碑が在ったのだが、今ではツワモノドモガユメノアトである。
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