謎の木村方斎
- 2016/12/23
- 13:22
木村方斎先生墓(瓜破霊園)
今年初め、我が家の累代墓を清掃する為、大阪市平野区の瓜破霊園を訪れた際、霊園東南にあるトイレ横の無縁墓域が気になって何とはなしに眺めていると、「木村方斎先生墓」と刻まれた墓碑が目に留まった。
木村方斎(1853~1886)は、藤沢南岳に学び、明治十九年に三十四歳で早世した漢学者で、天王寺区生玉寺町の清恩寺に葬られ、墓碑は現在同寺の無縁墓域中に押し込められている。
方斎先生墓碣(清恩寺/大阪市天王寺区生玉寺町5-9)
この木村方斎は『大阪訪碑録』にも記載があり、稲垣秋荘(1835~1901)による碑文も全て収められているのだが、大阪には木村方斎がもう一人別に居たらしい。
『大阪訪碑録』より
『大阪訪碑録』の巻末には、他書に記載あるも著者が訪ね得なかった人物九十名が挙げられており、その中に大通寺に葬られた木村方斎というのが居て、〔清恩寺ノ木村方斎トハ別人〕とある。
とすると、庵主が瓜破霊園の無縁墓域で見出した木村方斎は、この大通寺の木村方斎ではなかろうか。
しかし、困ったことに此のもう一人の木村方斎というのが如何なる人物であったのか皆目判らぬ。
種々の人名辞典の類を引いても、出て来るのは清恩寺の木村方斎ばかりで、大通寺の木村方斎は一向に出て来ないのである。
せめて墓碑の裏側でも確認出来れば、碑文か没年が刻まれていそうに思うが、無縁墓域中にガッツリ押し込まれて手が出せる状況ではない。
何方かご存知の方はご教示ください。
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