法要終了後に記念撮影
昨日のこと、箕面の松雲峰寒山寺にて、御住職・瀧瀬尚純師を導師として真勢中州先生追善法要が執り行われた。
御住職による正式な法要は、昭和30年の生誕二百年記念法要以来であるから、実に62年ぶりのことである。
参加者は庵主、青木先生、加賀井先生、豊中のI先生の四名。
中州はもともと真宗の人だったらしく、寒山寺に葬られはしたものの、菩提寺という訳ではなかったようで、これまで御位牌も無く、瀧瀬師によると過去帳にも記載がないそうだ。
今回は御住職(三年前に代替わりされたという)が御親切にも位牌製作をお申し出下さり、200年を経て中州先生の御位牌が作られ、今後、本堂下の位牌堂に安置されるということである。
中州の法名は「乾徳院釈真了」であったが、生誕二百年記念法要のとき、当時の住職・瀧瀬純道師によって、「乾徳院釈真了中州居士」と諡名されているので、この時の諡名で製作して頂いた。
本堂での法要の後、墓所でも読経して頂き、それから会場を移して青木良仁先生によるミニ講演「中州の弟子たち」。
未発表原稿の「羅州の墓」(実は青木先生とのご縁は初めてお会いした四天王寺易学供養塔での席で庵主が羅州の墓について尋ねたことから始まっている)が配布され、先生のこれまでの調査経過について発表して頂いた。
講演前に、瀧瀬師から寒山寺の歴史について書かれた簡単な資料が配布されたが、なんと開山は瑞南卜兆という禅師だそうで、“卜兆”などという僧号は非常に珍しいものと思われるが、檀家でなかった中州先生が同寺に葬られたことと何か関係があるのだろうか等と考えたくなって来る。
講演終了後は、お弁当を食べながらしばし歓談。
なんと、庵主は昨秋に静岡にて全く中州先生とは関係の無い案件で、ご住職の義母様にお目にかかっており、これぞ仏縁と言おうか易縁と言おうか、実に不思議な巡り合わせである。
振り返れば、青木先生と初めてハカマイルにご一緒したのも此処寒山寺の真勢中州先生墓所であったことを思い出す。
墓所と門前の標柱にて
寒山寺を後にし、近くの喫茶店でしばし歓談、青木先生の神業のようなアストロダイスも披露して頂き、真勢中州先生没後二百年追善法要は無事終了した。
お彼岸の多忙に関わらず、法要を快諾下さった瀧瀬師および遠方よりご参加の諸先生方に此の場を借りて御礼申し上げます。
泉下の先師・真勢中州先生もきっと喜んで下さっていると思います。
有難う御座いましたm(_ _)m
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