易と八卦
- 2017/02/07
- 18:25
陰陽五行が易を構成する基本要素でないならば、易の基本的構成単位は如何なるものかというに、八卦がそれであると言えるやも知れぬ。
加藤大岳氏は、五行は抽象的であり、批判的な宇宙観を有っているのに対し、八卦は具体的であり肯定的な宇宙観を有っているとも見ることが出来、その発生の時代を考えれば、具体的で素朴な八卦の方が遥かに五行よりも古いことが想像される、としている。
また、『易緯乾坤鑿度』は、八卦の卦画はそれぞれ天地風山火水雷沢を表す古代文字であると云い、楊誠斎や王応麟など、この八卦古代文字説を是とする諸家少なくないが、これら八卦発生の古さを説く諸説は一先ず置いて、今日の我々が易筮を行って卦象を読む際、爻の陰陽や五行は何時も必ず判断の材料に供するという訳ではないのに対し、小成卦は必ず重視して占考するのではないかと思う。
これは今日の我々に限らず、左国収載の古占例を検しても、小成卦は内外互体を問わず用いられており、小成卦が占考機関として重視されていることが明らかである。
従って、最も重要な構成単位はやはり八卦であるとして差し支えないと思う。
しかし、この八卦というのも又なかなか厄介な代物である。
作易についての伝説では、伏羲が八卦を作したというのは大体定論と云って良く、重卦については、『史記』は文王であると云い、鄭玄は神農であると云い、孫盛は禹王であると云い、はたまた王弼は重卦も又伏羲の作とするのだが、八卦を重ねて六十四卦が出来たのではなく、六十四卦から八卦が出来たとする説もあるのだ。
実際、左国の古占例を見ても、卦象を解する時にのみ上下卦の区分がなされるだけであり、卦爻辞の内容も又、上下卦ではっきりと区分されるような点は見当たらない。
山田慶児氏の「カテゴリーとしての八卦の形成」(『思想』2015年9月号)によると、八卦を積み重ねて六十四卦を作ったとする従来の見方は疑うべきで、『易経』から読み取ることが出来るのは、八卦から六十四卦へという発展段階説に立って注釈家たちが『周易』を解釈している、という事実だけで、実際には初めに六十四卦が発明され、そののち卦を構成する基本要素として八卦が抽出されたのではないかとし、この仮説には、それを支持する、すくなくとも三つの間接的な証拠があるとしている。
一つは卦を求める操作で、卦は六つの爻から成り、一つの爻を求めるには同じ操作を三回繰り返さなければならず、それを六回繰り返して(十八変)はじめて六爻が求められるのだが、すべて単調な連続的反復であって、はじめの三爻(下卦)とあとの三爻(上卦)とを区別する、いかなる操作も介在しないことで、もう一つは六つの爻それぞれについている爻辞であり、初・二・三・四・五・上と呼ばれる六つの爻辞には、初・二・三の下卦と四・五・上の上卦とを区別していると覚しい表現はまったく見当たらず、三つ目は、ただ一つの例外を除いて、卦辞も上下を区別しない、しかし、その例外は興味深くかつ示唆的で、すなわち泰卦に「小往き大来たる」と見え、それを反転させた否卦に「大往き小来たる」と表現を反転させた、一対の卦辞がそれであって、明らかに乾を大、坤を小と区別して意味づけているのであり、これは八卦ではないが、しかしそこには八卦の萌芽がある訳で、泰と否は反転卦であって、八卦の発展と反転卦の発見は深く結びついた出来事であり、同時に進行した過程であったことを、この反転する卦記号と卦辞は強く示唆している、という。
具体的な状況のなかに置かれた特定の個人の未来について、筮を立て卦爻を求めて判断を下すとき、卦の記号と名称、そして過去に実際に下された判断の辞である卦辞と爻辞が、判断者にその場その場のイメージを喚起し、その繰り返しの中で徐々に八卦が多様な意味を獲得して、カテゴリーとして形成されて行き、前漢時代に「説卦伝」として完成されたとするのが山田論文の主旨である。
浅学非才につき、この説の是非を判断することは差し控えたいが、大抵の人は八卦を積み重ねて六十四卦が成ったとする通説以外知らないものと思うので、参考までに、この八卦後出説を提示しておきたいと思う。
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