九と六~爻題のこと~
- 2017/02/21
- 18:35
我々が使用している易のテキストでは、それぞれの爻の頭に、九と六の数字を使った爻題が附されている。
例えば、純陽の乾為天の場合、下から順に、初九・九二・九三・九四・九五・上九となっており、純陰の坤為地なら、初六・六二・六三・六四・六五・上六という具合だ。
明の来知徳は、繋辞伝が説く易の生数「天一、地二、天三、地四、天五」のうち、天の数である一と三と五とを合すれば九となる故に九を陽の数とし、地の数である二と四とを合すれば六となる故に六を陰の数とするのだと云っており、根本通明先生や公田連太郎先生などは、此の来氏の説を是としている。
また、別の一説では、説卦伝の参天両地説に依り、天の数は三、地の数は二とあることから、純陽の乾卦は三陽にして、陽の数三を三倍すると九となり、また純陰の坤卦は三陰にして、陰の数二を三倍すると六になるので、陽爻を示すに九を以てし、陰爻を示すに六を以てするのだという。
上記の二説、畢竟の意味は同じであろうかと思うが、庵主は、大衍筮法の策数より来たとするのが一番理解し易いのではないかと思っている。
大衍筮法では、一爻を決定するのに三変の揲筮を行うが、三変を終えた後の残策は必ず36・32・28・24のいずれかとなり、これを四で約した数、9・8・7・6が夫々、老陽・少陰・少陽・老陰となるので、9は陽の変爻、6が陰の変爻となる訳だ。
岳門の小林喜久治先生は、「九」「六」の呼称は、本筮法で表出される数を借りただけなので、現在では単に何卦の二爻、五爻という風に呼ぶだけで良いのではないかとしており、実際その通りだとは思うが、最近では賽一擲派が易占家の大勢を占めている為、どのテキストにも示されている爻題の意味を丸で顧みない人が随分多くなったのではないかと思い、今日の記事では此の爻題について簡単に論じておくこととした。
ところで、『左伝』収載の古占例には「九」「六」の爻題が見えず、例えば昭公二十九年の条では、乾の初九爻を「乾之姤」、九二爻を「其同人」という様に称しており、また、前漢初期の馬王堆帛書『周易』では今日と同じように爻題が附されていることから、「九」「六」の爻題は春秋以後、漢以前に附されたもののようである。
例えば、純陽の乾為天の場合、下から順に、初九・九二・九三・九四・九五・上九となっており、純陰の坤為地なら、初六・六二・六三・六四・六五・上六という具合だ。
明の来知徳は、繋辞伝が説く易の生数「天一、地二、天三、地四、天五」のうち、天の数である一と三と五とを合すれば九となる故に九を陽の数とし、地の数である二と四とを合すれば六となる故に六を陰の数とするのだと云っており、根本通明先生や公田連太郎先生などは、此の来氏の説を是としている。
また、別の一説では、説卦伝の参天両地説に依り、天の数は三、地の数は二とあることから、純陽の乾卦は三陽にして、陽の数三を三倍すると九となり、また純陰の坤卦は三陰にして、陰の数二を三倍すると六になるので、陽爻を示すに九を以てし、陰爻を示すに六を以てするのだという。
上記の二説、畢竟の意味は同じであろうかと思うが、庵主は、大衍筮法の策数より来たとするのが一番理解し易いのではないかと思っている。
大衍筮法では、一爻を決定するのに三変の揲筮を行うが、三変を終えた後の残策は必ず36・32・28・24のいずれかとなり、これを四で約した数、9・8・7・6が夫々、老陽・少陰・少陽・老陰となるので、9は陽の変爻、6が陰の変爻となる訳だ。
岳門の小林喜久治先生は、「九」「六」の呼称は、本筮法で表出される数を借りただけなので、現在では単に何卦の二爻、五爻という風に呼ぶだけで良いのではないかとしており、実際その通りだとは思うが、最近では賽一擲派が易占家の大勢を占めている為、どのテキストにも示されている爻題の意味を丸で顧みない人が随分多くなったのではないかと思い、今日の記事では此の爻題について簡単に論じておくこととした。
ところで、『左伝』収載の古占例には「九」「六」の爻題が見えず、例えば昭公二十九年の条では、乾の初九爻を「乾之姤」、九二爻を「其同人」という様に称しており、また、前漢初期の馬王堆帛書『周易』では今日と同じように爻題が附されていることから、「九」「六」の爻題は春秋以後、漢以前に附されたもののようである。
スポンサーサイト