真勢中州の生地を訪ねて
- 2017/03/21
- 18:08
真勢中州の生涯は謎に包まれた部分が多いが、生まれは愛知県知多半島の亀崎(ちょうど半島の反対側に焼き物で有名な常滑市がある)であると推測されている。
真勢という姓は青森や愛媛に僅かながら存在するようだが、羅州による墓誌銘には尾張国愛知郡が生地とあり、亀崎に間瀬の姓非常に多く、真勢は間瀬の字を改めたものというのが通説のようだ。
昨年八月、西尾市にある丹羽嘯堂の墓碑を掃苔した折、折角なので知多にも足を延ばしてみた。
西尾からは名鉄西尾線で南安城駅まで行き、東海道線の安城駅よりJRに乗り換えて大府駅へ向かい、そこから武豊線に乗り換えるのだが、乗継が実に悪い上、昨夏の炎天下は色男金と力は無かりけりを地で行く蒼流庵主人のなけなしの体力をどんどん奪って行った。
当たり前だが、中州関連の史跡などは何もない。
しかし、一応来た以上は暫く散策してみようと思い、白虎加人参湯を不二家ネクターで飲み干して、駅の東側の町に繰り出す。
其処此処に間瀬の姓があるが、きっと何代も遡れば若き日の中州を直接に知る人も沢山居たに違いない。
亀崎を後にし、更に南下して武豊線の終点武豊駅まで行き、そこから名鉄河和線に乗って富貴駅へ向かう。
中州には複数の諱や字があったようだが、諱の一つに達富があり、字の一つに発貴がある。
そこから、中州は知多の富貴に関わりがあったとする説も生まれてくる訳だ。
ただ、この辺りには間瀬の姓は殆ど無いようである。
真勢という姓は青森や愛媛に僅かながら存在するようだが、羅州による墓誌銘には尾張国愛知郡が生地とあり、亀崎に間瀬の姓非常に多く、真勢は間瀬の字を改めたものというのが通説のようだ。
昨年八月、西尾市にある丹羽嘯堂の墓碑を掃苔した折、折角なので知多にも足を延ばしてみた。
西尾からは名鉄西尾線で南安城駅まで行き、東海道線の安城駅よりJRに乗り換えて大府駅へ向かい、そこから武豊線に乗り換えるのだが、乗継が実に悪い上、昨夏の炎天下は色男金と力は無かりけりを地で行く蒼流庵主人のなけなしの体力をどんどん奪って行った。
当たり前だが、中州関連の史跡などは何もない。
しかし、一応来た以上は暫く散策してみようと思い、白虎加人参湯を不二家ネクターで飲み干して、駅の東側の町に繰り出す。
其処此処に間瀬の姓があるが、きっと何代も遡れば若き日の中州を直接に知る人も沢山居たに違いない。
亀崎を後にし、更に南下して武豊線の終点武豊駅まで行き、そこから名鉄河和線に乗って富貴駅へ向かう。
中州には複数の諱や字があったようだが、諱の一つに達富があり、字の一つに発貴がある。
そこから、中州は知多の富貴に関わりがあったとする説も生まれてくる訳だ。
ただ、この辺りには間瀬の姓は殆ど無いようである。
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