不応卦は存在するか
- 2017/04/25
- 21:08
得卦論々争の原点となったのは、所謂不応卦の有無についての対立である。
論争の発端となった荒井省一郎先生は非卦誤卦の名で不応卦の存在を主張するが(非卦誤卦という表現は私には余り適当なものとは思われない。少なくとも私には不応卦という表現の方がしっくり来る)、与えられた卦は絶対であるとする紀藤元之介先生は、不応卦の存在を認めない立場を取る。
不応卦の存在を認めない立場であれば、誤占は単なる観卦上のミスに起因するものに過ぎず、経文を読みこなして実占経験を積み重ねる以外には的中率を上げる方策はないことになろう。
私の目についた限りでは、田中洗顕先生や菅原壮先生、武隈天命先生等は不応卦の存在を認め、小林喜久治先生、加藤普品先生等は其の存在に否定的であったようだが、小林先生は、卦の応不応などよりも、その論争に巻き込まれないことの方が重要なのだと面白いことを言っている。
大熊茅楊先生は、明言こそされておられないが、占者が素直であれば必ず適切な卦が示されると思うと言い、これは裏返せば素直でない占者には不適切な卦が示されると読めるから、不応卦存在派に分類して良いと思う。
塚原栄一先生は、不応卦の存在については之を認めるが、もし不応卦であったとしても、其の誤りを読卦の際に修正して、誤りを少なくし、正しい判断を下してゆくというのが、占法家としての習練であると言っているのだが、これは言うは易しで、実際には出来っこない非現実的な見解であろう。
私が親炙したのは紀藤門の諸先生方であるが、麻野勝稔先生や御法川もも代先生は不応卦は無いとしておられ、殊に筮を執る毎に神棚に手を合わせるという位、信仰に篤い御法川先生などは、もし不応の卦が示されたとしたら、それは占者ではなく、易の方が誤っているのだと言われたが、ここまで筮に対する信頼を持った占者には私は後にも先にもお目にかかったことがない。
ただ、同じ紀藤門でも広瀬宏道先生は、不応卦の存在を認めておられた(先生は誤卦という表現を用いておられたように思う)。
庵主自身もまた不応卦の存在を認める立場である。
これは実際に不応としか思えない卦にしばしば遭遇するからで、誤占の判明後に、いくら検証を重ねても、卦そのものが対象を正しく反映していないと感じることが時折あるという単純な経験の積み重ねから導き出された結論に過ぎない。
ところで、昭和易学界の盟主であった加藤大岳先生は、この卦の応不応についてどう見ておられたのだろうか。
『易学研究』の昭和28年八月号における随感録には、こうある。
僕は得卦論では口止めを喰つて居るのでね。
僕が組織立つた得卦論のようなものを發表して、結論らしいものを打出してしまうと、その後からでは何も言えなくなるから、門下の論客たちが其れぞれに意見を出した後で、發表して欲しいという希望なんだ。
荒井さんや江藤君などの得卦論が其れぞれ纏つた著作として近く刊行される筈だから、そうすると僕の緘口令も解除され、自由に物が言えるようになるわけだ。
しかし、私の知る限り、先生はその後も得卦論についての纏まった所見を発表されることはなかったように思う(私は加藤大岳先生もまた不応卦を認めておられたのではないかと信ずる一人であるが)。
とすれば、これは平成の我々も又取り組むべき、昭和易の残された課題であると言えるのではあるまいか。
論争の発端となった荒井省一郎先生は非卦誤卦の名で不応卦の存在を主張するが(非卦誤卦という表現は私には余り適当なものとは思われない。少なくとも私には不応卦という表現の方がしっくり来る)、与えられた卦は絶対であるとする紀藤元之介先生は、不応卦の存在を認めない立場を取る。
不応卦の存在を認めない立場であれば、誤占は単なる観卦上のミスに起因するものに過ぎず、経文を読みこなして実占経験を積み重ねる以外には的中率を上げる方策はないことになろう。
私の目についた限りでは、田中洗顕先生や菅原壮先生、武隈天命先生等は不応卦の存在を認め、小林喜久治先生、加藤普品先生等は其の存在に否定的であったようだが、小林先生は、卦の応不応などよりも、その論争に巻き込まれないことの方が重要なのだと面白いことを言っている。
大熊茅楊先生は、明言こそされておられないが、占者が素直であれば必ず適切な卦が示されると思うと言い、これは裏返せば素直でない占者には不適切な卦が示されると読めるから、不応卦存在派に分類して良いと思う。
塚原栄一先生は、不応卦の存在については之を認めるが、もし不応卦であったとしても、其の誤りを読卦の際に修正して、誤りを少なくし、正しい判断を下してゆくというのが、占法家としての習練であると言っているのだが、これは言うは易しで、実際には出来っこない非現実的な見解であろう。
私が親炙したのは紀藤門の諸先生方であるが、麻野勝稔先生や御法川もも代先生は不応卦は無いとしておられ、殊に筮を執る毎に神棚に手を合わせるという位、信仰に篤い御法川先生などは、もし不応の卦が示されたとしたら、それは占者ではなく、易の方が誤っているのだと言われたが、ここまで筮に対する信頼を持った占者には私は後にも先にもお目にかかったことがない。
ただ、同じ紀藤門でも広瀬宏道先生は、不応卦の存在を認めておられた(先生は誤卦という表現を用いておられたように思う)。
庵主自身もまた不応卦の存在を認める立場である。
これは実際に不応としか思えない卦にしばしば遭遇するからで、誤占の判明後に、いくら検証を重ねても、卦そのものが対象を正しく反映していないと感じることが時折あるという単純な経験の積み重ねから導き出された結論に過ぎない。
ところで、昭和易学界の盟主であった加藤大岳先生は、この卦の応不応についてどう見ておられたのだろうか。
『易学研究』の昭和28年八月号における随感録には、こうある。
僕は得卦論では口止めを喰つて居るのでね。
僕が組織立つた得卦論のようなものを發表して、結論らしいものを打出してしまうと、その後からでは何も言えなくなるから、門下の論客たちが其れぞれに意見を出した後で、發表して欲しいという希望なんだ。
荒井さんや江藤君などの得卦論が其れぞれ纏つた著作として近く刊行される筈だから、そうすると僕の緘口令も解除され、自由に物が言えるようになるわけだ。
しかし、私の知る限り、先生はその後も得卦論についての纏まった所見を発表されることはなかったように思う(私は加藤大岳先生もまた不応卦を認めておられたのではないかと信ずる一人であるが)。
とすれば、これは平成の我々も又取り組むべき、昭和易の残された課題であると言えるのではあるまいか。
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