射覆について
- 2017/05/06
- 09:41
すべての射覆が手品まがいのイカサマであるのかどうかはさておき、射覆の歴史を遡って辿ると、相当古くから行われていたことが判る。
『漢書』東方朔伝には、「上(※武帝を指す)嘗てもろもろの数家をして射覆せしむ。守宮を盂の下に置きてこれを射しむ。皆中つること能はず。朔自ら賛して曰く、臣嘗て易を受く。請ふこれを射ん。云々」とあり、ここには既に“射覆”の語が見えている。
また、『漢書』芸文志の蓍亀の項に見える「周易随曲射匿五十巻」は、恐らく射覆の書物であろう(五十巻は五十篇の意かもしれぬが、どちらにせよそれなりの分量の書物のようだ)。
我が国では、『三代実録』巻第十三の清和天皇の貞観八年(866)九月の条に、文徳天皇(827~858)が蔵鉤(小石を掌中に掴み、石の数あるいは石をどの手に掴んでいるかを当てる遊戯)の遊びをした際、密かに紀夏井(平安初期の貴族・生没年不詳)に占わせて的中させたという占例が載っており、ここにも射覆の語が見えていて、恐らく本邦の文献が射覆を載せる最も古い例と思われる。
ところで、タロットや他の卜占においても、射覆に類するものが昔から行われているのであろうか。
私は易以外の占術には甚だ不案内である為、専門家の教示を賜りたいと思っている。
『漢書』東方朔伝には、「上(※武帝を指す)嘗てもろもろの数家をして射覆せしむ。守宮を盂の下に置きてこれを射しむ。皆中つること能はず。朔自ら賛して曰く、臣嘗て易を受く。請ふこれを射ん。云々」とあり、ここには既に“射覆”の語が見えている。
また、『漢書』芸文志の蓍亀の項に見える「周易随曲射匿五十巻」は、恐らく射覆の書物であろう(五十巻は五十篇の意かもしれぬが、どちらにせよそれなりの分量の書物のようだ)。
我が国では、『三代実録』巻第十三の清和天皇の貞観八年(866)九月の条に、文徳天皇(827~858)が蔵鉤(小石を掌中に掴み、石の数あるいは石をどの手に掴んでいるかを当てる遊戯)の遊びをした際、密かに紀夏井(平安初期の貴族・生没年不詳)に占わせて的中させたという占例が載っており、ここにも射覆の語が見えていて、恐らく本邦の文献が射覆を載せる最も古い例と思われる。
ところで、タロットや他の卜占においても、射覆に類するものが昔から行われているのであろうか。
私は易以外の占術には甚だ不案内である為、専門家の教示を賜りたいと思っている。
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