周易観相法
- 2017/05/21
- 21:29
周易観相法などと言うと、何やら周易と人相術を絡めた占法のように聞こえるが、実際はそうではない。
これは、その昔、私が射覆に強い関心を抱いていた時分に考え出したもので、一応周易の範疇のつもりであるが、内実は霊感占とも画相の一種とも言えるから、周易観相法というのは便宜的な仮称に過ぎないものである(周易瞑想法と呼んでも良いかもしれない)。
やり方は実に他愛のないもので、得卦を図に表し、それを凝視して占考のヒントを得ようというものであるが、密教の阿字観からもヒントを得たことを白状しておく。
射覆に応用する目的で考案したものであるが、その頃は真勢の平四郎占の如き一卦多占にも関心があった時分で、兎に角、得卦から如何に多くの情報を引出得るかをテーマとしてアレコレ新しい占法を模索していた今となっては懐かしい時代である。
表出された卦画からインスピレーションを得るというのは、それなりにキャリアを積んだ占者なら程度の差こそあれ、誰もが何かしらの経験を持つものと思う。
紀藤先生などは霊感めいた能力はお持ちではなかったらしいが、占考時に算木を見つめていると画像のようなものが見えることがあると、どこかで書かれていた記憶がある。
要はこういった現象を主体的に応用して行こうというのが、蒼流庵式周易観相法という訳だ。
最初の頃は、卦画のイラストをPCで作成し、それを壁に貼って凝視するところから始めた。
爻同士をくっつけて用いる算木よりも見やすいし、何より、算木は普通机の上に置くから、占者が上から見下ろすような恰好になる訳だが、目線を下げると集中力が落ちるので、印刷した図表を壁に貼り付ける方が高さの調整も容易に出来る。
しかし、私もそれほど霊感めいた能力を持ち合わせている訳ではないので、このやり方では手ごたえが今一つであった。
そこで思いついたのが、卦画を墨書する方法である。
ここまで書けば察しの良い人ならお分かりだろうが、最終的にたどり着いた周易観相法は、周易と墨色判断とを掛け合わせたものである。
味気ない算木やPCで作成したイラストと違って、これは一卦一卦毎に、図に非常な個性が出、画像的な情報も大変に得やすい。
人相上では画相を識別できない人でも墨色上の画相は比較的容易に観ることが出来るという旨を尾栄大寛先生も書かれているが、私の周易観相法においてもそれは同様である。
通常、墨色判断では円や横一文字などの単純なものを占考の対象とする為、易の卦画のようなものでは反って判断に迷いが出るのではないかと思う向きもあろうが、あくまでも、私のやり方は細かい画相めいた情報より、大成卦や小成卦などの比較的大きな易の機構を主な対象としているので、画相に関しては時にこれを取り上げるという程度(要するに目についたものがあればという意味)のものだ。
実際には、そうそう画像や映像が見える訳ではないのだが、墨書した図を用いると、フワッと或る種の印象のようなものが脳内を流れるようなことが多い(うまく言語化するのが難しいが)。
コツは集中した凝視と視点をボカして全体を眺めるような観方とを交互に繰り返すこと。
周易観相法は、蒼流庵易占法のいわば奥伝に当たるものの一つであるが、出血大サービスでここに公開しておくことにする。
これは、その昔、私が射覆に強い関心を抱いていた時分に考え出したもので、一応周易の範疇のつもりであるが、内実は霊感占とも画相の一種とも言えるから、周易観相法というのは便宜的な仮称に過ぎないものである(周易瞑想法と呼んでも良いかもしれない)。
やり方は実に他愛のないもので、得卦を図に表し、それを凝視して占考のヒントを得ようというものであるが、密教の阿字観からもヒントを得たことを白状しておく。
射覆に応用する目的で考案したものであるが、その頃は真勢の平四郎占の如き一卦多占にも関心があった時分で、兎に角、得卦から如何に多くの情報を引出得るかをテーマとしてアレコレ新しい占法を模索していた今となっては懐かしい時代である。
表出された卦画からインスピレーションを得るというのは、それなりにキャリアを積んだ占者なら程度の差こそあれ、誰もが何かしらの経験を持つものと思う。
紀藤先生などは霊感めいた能力はお持ちではなかったらしいが、占考時に算木を見つめていると画像のようなものが見えることがあると、どこかで書かれていた記憶がある。
要はこういった現象を主体的に応用して行こうというのが、蒼流庵式周易観相法という訳だ。
最初の頃は、卦画のイラストをPCで作成し、それを壁に貼って凝視するところから始めた。
爻同士をくっつけて用いる算木よりも見やすいし、何より、算木は普通机の上に置くから、占者が上から見下ろすような恰好になる訳だが、目線を下げると集中力が落ちるので、印刷した図表を壁に貼り付ける方が高さの調整も容易に出来る。
しかし、私もそれほど霊感めいた能力を持ち合わせている訳ではないので、このやり方では手ごたえが今一つであった。
そこで思いついたのが、卦画を墨書する方法である。
ここまで書けば察しの良い人ならお分かりだろうが、最終的にたどり着いた周易観相法は、周易と墨色判断とを掛け合わせたものである。
味気ない算木やPCで作成したイラストと違って、これは一卦一卦毎に、図に非常な個性が出、画像的な情報も大変に得やすい。
人相上では画相を識別できない人でも墨色上の画相は比較的容易に観ることが出来るという旨を尾栄大寛先生も書かれているが、私の周易観相法においてもそれは同様である。
通常、墨色判断では円や横一文字などの単純なものを占考の対象とする為、易の卦画のようなものでは反って判断に迷いが出るのではないかと思う向きもあろうが、あくまでも、私のやり方は細かい画相めいた情報より、大成卦や小成卦などの比較的大きな易の機構を主な対象としているので、画相に関しては時にこれを取り上げるという程度(要するに目についたものがあればという意味)のものだ。
実際には、そうそう画像や映像が見える訳ではないのだが、墨書した図を用いると、フワッと或る種の印象のようなものが脳内を流れるようなことが多い(うまく言語化するのが難しいが)。
コツは集中した凝視と視点をボカして全体を眺めるような観方とを交互に繰り返すこと。
周易観相法は、蒼流庵易占法のいわば奥伝に当たるものの一つであるが、出血大サービスでここに公開しておくことにする。
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