達人伝説の虚像③
- 2017/05/26
- 18:08
三人の中で、一番怪しげなのは新井白蛾である。
呑象や中州はそれなりに占例が豊富に残されているが、白蛾に至っては指折り数える程度しかない。
日本易学中興の祖などと言っても、これでは判断材料が乏しすぎる。
私は先に白蛾の射覆手品説を論じた。
勿論、確たる証拠は何もない。
あくまでも、状況証拠を積み重ねて有罪(?)を立証する他ない訳だ。
ところで、白蛾に限った話ではないが、占い愛好家というのは、どうしてこうも御目出度い連中ばかりなのだろう。
本人や弟子が世に出した虚像を何の疑いも抱くことなく盲信する。
こんなことだから、占いそのものまで女子供の玩具と馬鹿にされるのではなかろうか。
もし、同時代に存命中の占者であったなら、百占百中などと本人や弟子が幾ら言ったところで容易には信用しないに決まっている。
それが江戸や明治になった途端に、「ムカシノヒトハスゴカッタ」と有難がるのだから、滑稽の至りと言わずして何と言おう。
一昔前の人間は、そんなに牧歌的で正直者ばかりだとでも言うのだろうか。
話を新井白蛾に戻せば、白蛾は盗作野郎であることが奈良場勝先生によって明らかにされている。
白蛾はあくまでも儒者として立つことを望んだと言われるが、奈良場先生によれば、白蛾は『易学小筌』を巡る盗作訴訟に敗訴したことが契機となって、朱子学者としての傾向を強め、占筮色を薄めていくのだという。
鈴木由次郎先生によれば、白蛾の経文解釈には大して見るべきものがないというが、これも当然と言えば当然なのである。
盗作騒動を起こして敗訴するような人間が牧歌的でも誠実でもないことは、誰の目にも明らかであろう。
白蛾が能くしたという射覆が手品であったと私が信じる傍証の一つである。
呑象や中州はそれなりに占例が豊富に残されているが、白蛾に至っては指折り数える程度しかない。
日本易学中興の祖などと言っても、これでは判断材料が乏しすぎる。
私は先に白蛾の射覆手品説を論じた。
勿論、確たる証拠は何もない。
あくまでも、状況証拠を積み重ねて有罪(?)を立証する他ない訳だ。
ところで、白蛾に限った話ではないが、占い愛好家というのは、どうしてこうも御目出度い連中ばかりなのだろう。
本人や弟子が世に出した虚像を何の疑いも抱くことなく盲信する。
こんなことだから、占いそのものまで女子供の玩具と馬鹿にされるのではなかろうか。
もし、同時代に存命中の占者であったなら、百占百中などと本人や弟子が幾ら言ったところで容易には信用しないに決まっている。
それが江戸や明治になった途端に、「ムカシノヒトハスゴカッタ」と有難がるのだから、滑稽の至りと言わずして何と言おう。
一昔前の人間は、そんなに牧歌的で正直者ばかりだとでも言うのだろうか。
話を新井白蛾に戻せば、白蛾は盗作野郎であることが奈良場勝先生によって明らかにされている。
白蛾はあくまでも儒者として立つことを望んだと言われるが、奈良場先生によれば、白蛾は『易学小筌』を巡る盗作訴訟に敗訴したことが契機となって、朱子学者としての傾向を強め、占筮色を薄めていくのだという。
鈴木由次郎先生によれば、白蛾の経文解釈には大して見るべきものがないというが、これも当然と言えば当然なのである。
盗作騒動を起こして敗訴するような人間が牧歌的でも誠実でもないことは、誰の目にも明らかであろう。
白蛾が能くしたという射覆が手品であったと私が信じる傍証の一つである。
スポンサーサイト