当たった八卦
- 2017/05/30
- 18:21
支那の學者で左傳のことを研究しました汪中なども注意して居つたのでありますが、左傳に記す所は、人事のみでなく、天道・鬼神・災祥・卜筮・夢の五つであるとして、一々その例を擧げて居りますが、その中で歴史的思想に關係することは主に災祥・卜筮・夢の三つであります。
これは隨分色々歴史的思想の發生に關係すると思ひます。
はつきり分りよいのが卜筮でありますが、左傳・國語の卜筮に關したことは、日本でも卜法の上から注意した人がありまして、谷川龍山といふ人が「左國易一家言」といふ本を作つた位であり、それに左傳・國語の卜筮に關した記事が大方載つて居ります。
それを見ても分ります通り、大體この卜筮に關する記事といふものは、大抵皆 ―― 勿論あたつた八卦ばかり載つてゐるに違ひないので、あたらない八卦は大抵載つてゐないのです。
恐らくこれは卜筮家の記録が根本だらうと思ひます。
卜筮家としては、自分の家の職務で卜つたけれども、あたらなかつたといふことを書く必要はない。
皆あたつたことを書くと、自分の家の職務として輝きます。
さういふことから勿論あたつた八卦を書くに違ひありません。
そのことは汪中も注意して、「史之於禍福。擧其已驗者也。」と云つて居ります。
四庫全書提要には、「左傳載預斷禍福。無不徴驗。蓋不免從後傅合之。」とまで申して居りますが、それを日本の安井息軒先生のやうに、もつと眞面目に考へるといふと、それが道徳的に勸戒とするに足る正しいことだけ書いてあるやうに考へられますけれども、提要の作者や汪中は、もつと皮肉に見まして、やはりあたつた八卦だけが現はれて居るのだといふことを注意して居ります。
これは隨分色々歴史的思想の發生に關係すると思ひます。
はつきり分りよいのが卜筮でありますが、左傳・國語の卜筮に關したことは、日本でも卜法の上から注意した人がありまして、谷川龍山といふ人が「左國易一家言」といふ本を作つた位であり、それに左傳・國語の卜筮に關した記事が大方載つて居ります。
それを見ても分ります通り、大體この卜筮に關する記事といふものは、大抵皆 ―― 勿論あたつた八卦ばかり載つてゐるに違ひないので、あたらない八卦は大抵載つてゐないのです。
恐らくこれは卜筮家の記録が根本だらうと思ひます。
卜筮家としては、自分の家の職務で卜つたけれども、あたらなかつたといふことを書く必要はない。
皆あたつたことを書くと、自分の家の職務として輝きます。
さういふことから勿論あたつた八卦を書くに違ひありません。
そのことは汪中も注意して、「史之於禍福。擧其已驗者也。」と云つて居ります。
四庫全書提要には、「左傳載預斷禍福。無不徴驗。蓋不免從後傅合之。」とまで申して居りますが、それを日本の安井息軒先生のやうに、もつと眞面目に考へるといふと、それが道徳的に勸戒とするに足る正しいことだけ書いてあるやうに考へられますけれども、提要の作者や汪中は、もつと皮肉に見まして、やはりあたつた八卦だけが現はれて居るのだといふことを注意して居ります。
(内藤湖南「支那歴史的思想の起源」より)
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