等身大の占
- 2017/06/03
- 23:48
過去の書物に現れた占例に疑いを抱くのは、私が別段ひねくれ者であるという為ばかりではないと思いたいのだが、そのありのままを伝え、私たちが正確な検証を行い得るという点で、『易学研究』や『実占研究』といった月刊誌は多くの貴重な“等身大の”占例を提供してくれて有難い。
月刊誌という性格上、それらの紙面には、まだ結果の判明していない占が多数掲載されている。
これでは、後で無かったことにしたり、手を加えて脚色することも出来ない訳だ。
勿論、結果の判った後で投稿される後出し占も数多いが、それは自身の備忘録という一面もあろうし、好占名占と思ったものを、読者の参考に供するという意味合いもあるから、それはそれで意義のあることであろう。
ただ、やはり、私のような嗜好のものには、“先出し占”の方が、余程食指を動かされる内容ではある。
検討を始めてみると、やはり興味本位の占では、誤占ばかりが目につくようだ。
練達の士に意外に誤占の多いことは凡夫たる我々を勇気付けると共に、多くの事件で真の意味が何十年も経ってから明らかになるように、同時代の人々(そして実は我々もそうであるが)のものの見方が如何に浅薄なものであるのかをよく示していて面白い。
こういった検討では、時事占の多い『実占研究』誌の方が、より多くの素材を提供してくれる訳だが、残念ながら、四遍筮の占例があまりに多い為、それ以外の筮法を常法とする私をはじめ大多数の占者には、退屈なところがあるようだ。
なお、『易学研究』も後期の巻号になると、いわゆる岳易の系譜に連なる占者の投稿ばかりになって来るが、古いものでは、加藤大岳氏とは系統を異にする占者、例えば、白蛾流であったり、平澤流であったり、日東易であったりと、今では絶えて久しい古流(?)の占者も垣間見えて、貴重な占例を提供してくれている。
月刊誌という性格上、それらの紙面には、まだ結果の判明していない占が多数掲載されている。
これでは、後で無かったことにしたり、手を加えて脚色することも出来ない訳だ。
勿論、結果の判った後で投稿される後出し占も数多いが、それは自身の備忘録という一面もあろうし、好占名占と思ったものを、読者の参考に供するという意味合いもあるから、それはそれで意義のあることであろう。
ただ、やはり、私のような嗜好のものには、“先出し占”の方が、余程食指を動かされる内容ではある。
検討を始めてみると、やはり興味本位の占では、誤占ばかりが目につくようだ。
練達の士に意外に誤占の多いことは凡夫たる我々を勇気付けると共に、多くの事件で真の意味が何十年も経ってから明らかになるように、同時代の人々(そして実は我々もそうであるが)のものの見方が如何に浅薄なものであるのかをよく示していて面白い。
こういった検討では、時事占の多い『実占研究』誌の方が、より多くの素材を提供してくれる訳だが、残念ながら、四遍筮の占例があまりに多い為、それ以外の筮法を常法とする私をはじめ大多数の占者には、退屈なところがあるようだ。
なお、『易学研究』も後期の巻号になると、いわゆる岳易の系譜に連なる占者の投稿ばかりになって来るが、古いものでは、加藤大岳氏とは系統を異にする占者、例えば、白蛾流であったり、平澤流であったり、日東易であったりと、今では絶えて久しい古流(?)の占者も垣間見えて、貴重な占例を提供してくれている。
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