再筮について
- 2017/06/07
- 23:24
街占などやっていると、占断結果の気に入らない客から強引に再筮を迫られるというようなこともあるらしい。
もっとも大抵の人間は占いの結果によって行動を変えようなどとは端から思っておらず、結論は自分で疾うに出している上で、「同意を得たい」「背中を押して欲しい」というのが根底にあっての求占であるらしいから、別段不思議なことでもなかろう。
最近はそういった押しの強い客は少なくなったようだが、酒でも呷ってから来るような手合いなら、大いにありそうな話だ。
ところで、示された卦爻が気に入らないからと、意に適うものが出るまで再占を繰り返すなどというのが言語道断であることくらいは、占いの素人にも直ちに合点の行くところであるし、これは独り周易に限った話ではなく、卜占全般に広く当てはまる事柄であるのは言うまでもない。
しかし、この再筮という問題は、聊かデリケートな側面があって、論じ出すと、得卦論に通ずる奥行と広がりを持っているようだ。
同一の占者が全く同じ占題で立て続けに卦を起こすのは論外として、真勢流では得卦が不応卦であると認め得る場合、日を改めての再筮を認めているし、断易も同様である。
呉幼清(1249~1333)は「卜筮の吉凶は一旬の内を以て断を為す。旬をすぐれば則ち再卜再筮す」と言い、旬、つまり十日を過ぎれば良いとしているのだが、これも占的の性質の如何によりけりで、一概に画一的な期間を適用出来るようなものではなかろう。
再筮と言えば、やはり易筮家なら、山水蒙の彖の辞「初筮ハ告グ、再三スレバ瀆ル」を思い浮かべる筈であるが、古文献には再占の気配漂う記述がちらほら見えていて、尚書の洪範に「三人筮スレバ則チ二人ノ言ニ従フ」、金滕に「乃ち三龜を卜う。一つに習ねて吉。籥を啓き書を見る。乃ち幷せて是れ吉」とあって、国事故に慎重を期した為か、限りなく再占めいた記述があり、『左伝』の占話にも同様のものが見えている。
私自身、同一の占題を複数人で筮することが屡々あるし(練習占の類ではないので念の為)、重要な事柄を占って得卦に疑いを抱いた時は、青木良仁先生に神業としか言いようのないアストロダイスを依頼するのを常としている(先生は近々初のアストロダイス講座を開催されるそうだ)。
もっとも大抵の人間は占いの結果によって行動を変えようなどとは端から思っておらず、結論は自分で疾うに出している上で、「同意を得たい」「背中を押して欲しい」というのが根底にあっての求占であるらしいから、別段不思議なことでもなかろう。
最近はそういった押しの強い客は少なくなったようだが、酒でも呷ってから来るような手合いなら、大いにありそうな話だ。
ところで、示された卦爻が気に入らないからと、意に適うものが出るまで再占を繰り返すなどというのが言語道断であることくらいは、占いの素人にも直ちに合点の行くところであるし、これは独り周易に限った話ではなく、卜占全般に広く当てはまる事柄であるのは言うまでもない。
しかし、この再筮という問題は、聊かデリケートな側面があって、論じ出すと、得卦論に通ずる奥行と広がりを持っているようだ。
同一の占者が全く同じ占題で立て続けに卦を起こすのは論外として、真勢流では得卦が不応卦であると認め得る場合、日を改めての再筮を認めているし、断易も同様である。
呉幼清(1249~1333)は「卜筮の吉凶は一旬の内を以て断を為す。旬をすぐれば則ち再卜再筮す」と言い、旬、つまり十日を過ぎれば良いとしているのだが、これも占的の性質の如何によりけりで、一概に画一的な期間を適用出来るようなものではなかろう。
再筮と言えば、やはり易筮家なら、山水蒙の彖の辞「初筮ハ告グ、再三スレバ瀆ル」を思い浮かべる筈であるが、古文献には再占の気配漂う記述がちらほら見えていて、尚書の洪範に「三人筮スレバ則チ二人ノ言ニ従フ」、金滕に「乃ち三龜を卜う。一つに習ねて吉。籥を啓き書を見る。乃ち幷せて是れ吉」とあって、国事故に慎重を期した為か、限りなく再占めいた記述があり、『左伝』の占話にも同様のものが見えている。
私自身、同一の占題を複数人で筮することが屡々あるし(練習占の類ではないので念の為)、重要な事柄を占って得卦に疑いを抱いた時は、青木良仁先生に神業としか言いようのないアストロダイスを依頼するのを常としている(先生は近々初のアストロダイス講座を開催されるそうだ)。
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