三変筮の考案者は誰か
- 2014/01/19
- 07:10
筮法にもいくつかの種類があるが、その出所は?となると、大抵はよく判らない。
出所がはっきりしているのは、根本通明の三十六変筮法と紀藤先生の四遍筮くらいのものであろう。
もっとも、四遍筮は吉川祐三(江戸後期大阪の人)が同じような方法を算木を用いた無筮立卦法で試みていたという。
真勢流で慣用したという六変筮法も、真勢中州の発案ではないことは確実で、これまた吉川祐三が六変筮をやっていたらしい(ただし、得爻法は八払いして、直ちに八卦を配爻するのではなく、四払いして四象を各爻に配した。つまり、本筮法の得爻法を六回で行う方式とのこと。これなど真の意味で略筮と呼ぶに相応しい)。
機会があれば、吉川祐三について、もう少し詳しく調べてみたいと思っている。
さて、お題の三変筮であるが、高島嘉右衛門が用いたことから、嘉右衛門の発案と思っている人が多かった時期もあったといい、新井白蛾が考案者と思われていた頃もあったらしいが、汎日本易学協会の先生方の積極的な調査考証によって、どうも平澤随貞あたりの時代らしいということが判ってきた。
ただし、先に少し書いたように、随貞の三変筮は今日の揲筮作法とは違っており、梅花心易が元になっているから、上卦から先に起こす方式で、最初の頃は、変爻の出し方が一風変っていて、筮竹で六払いするのではなく、二回目の揲筮動作で出した下卦の数を六払いしている(つまり、下卦が坤だったら、その数である八を六払いして、二爻変となる)。
『卜筮早考』(1770)では、現在の三変筮と同じ手順になっており、この流動性は、まだ三変筮法の形式が固定化していなかったことを示し、やはり随貞あたりの時代に出来た筮法であることが判る。
しかし、随貞が考案者であると断定することは出来ず、奈良場勝先生は、「筮竹による略筮法は平澤随貞、あるいは新井白蛾によって考案されたと考えられているが、もう少し早い時期に完成していたことは間違いないだろう」と言っている。
加賀谷憲一先生は、片岡如圭の『易術手引草』に門人の誌せる一文があり、「毛利貞斎、略めどをはじむ云々」の記述があることから、略筮の創始者は毛利貞斎(江戸時代前期。大阪の人で、京都に出て講説を業とする。著述多く、宇都宮遯庵と並び称された)であるとしているが、証拠としては少し弱いように思う。
やはり、随貞あたりの時代ではあるが、本当の考案者が誰なのかは、よく判らないようだ。
誰言うとなく、いつの間にか広まっていたというのが本当なのかもしれない。
出所がはっきりしているのは、根本通明の三十六変筮法と紀藤先生の四遍筮くらいのものであろう。
もっとも、四遍筮は吉川祐三(江戸後期大阪の人)が同じような方法を算木を用いた無筮立卦法で試みていたという。
真勢流で慣用したという六変筮法も、真勢中州の発案ではないことは確実で、これまた吉川祐三が六変筮をやっていたらしい(ただし、得爻法は八払いして、直ちに八卦を配爻するのではなく、四払いして四象を各爻に配した。つまり、本筮法の得爻法を六回で行う方式とのこと。これなど真の意味で略筮と呼ぶに相応しい)。
機会があれば、吉川祐三について、もう少し詳しく調べてみたいと思っている。
さて、お題の三変筮であるが、高島嘉右衛門が用いたことから、嘉右衛門の発案と思っている人が多かった時期もあったといい、新井白蛾が考案者と思われていた頃もあったらしいが、汎日本易学協会の先生方の積極的な調査考証によって、どうも平澤随貞あたりの時代らしいということが判ってきた。
ただし、先に少し書いたように、随貞の三変筮は今日の揲筮作法とは違っており、梅花心易が元になっているから、上卦から先に起こす方式で、最初の頃は、変爻の出し方が一風変っていて、筮竹で六払いするのではなく、二回目の揲筮動作で出した下卦の数を六払いしている(つまり、下卦が坤だったら、その数である八を六払いして、二爻変となる)。
『卜筮早考』(1770)では、現在の三変筮と同じ手順になっており、この流動性は、まだ三変筮法の形式が固定化していなかったことを示し、やはり随貞あたりの時代に出来た筮法であることが判る。
しかし、随貞が考案者であると断定することは出来ず、奈良場勝先生は、「筮竹による略筮法は平澤随貞、あるいは新井白蛾によって考案されたと考えられているが、もう少し早い時期に完成していたことは間違いないだろう」と言っている。
加賀谷憲一先生は、片岡如圭の『易術手引草』に門人の誌せる一文があり、「毛利貞斎、略めどをはじむ云々」の記述があることから、略筮の創始者は毛利貞斎(江戸時代前期。大阪の人で、京都に出て講説を業とする。著述多く、宇都宮遯庵と並び称された)であるとしているが、証拠としては少し弱いように思う。
やはり、随貞あたりの時代ではあるが、本当の考案者が誰なのかは、よく判らないようだ。
誰言うとなく、いつの間にか広まっていたというのが本当なのかもしれない。
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