蒼流庵易占法秘伝③
- 2017/08/16
- 20:01
近代易の大きな功績といえば、真勢流における筮前審事の重視から更に一歩を進め、占的の明確化を打ち出した点も其の一つであろう。
昔は占的がかなり大雑把で、それ故に神明の占もあり得たのかもしれないが、記録に残っていないトンデモな誤占も亦多かったに違いない。
その点では、占的を明確化するのが当たり前のようになった昨今、入神の名人も居なくなった替りに、目も当てられない誤占を連発するようなへたっぴも居なくなって、易占もまた総中流化したようなところがあるのかもしれぬ。
ともかくも実際に他者の依頼に応えて筮を執ることが多くなると、筮前の審事の大切さ、そして難しさに直面することも多くなるのだが、筮前の審事の質によって、占的の精度も変わって来ることになる為、それが最終的に得卦にも影響して来ることは避けがたいようだ。
紀藤先生は、卦を読む小手先の技術みたいなものよりも、筮を立てる以前にどうまとめるかということが大事だと言っている。
しかし、占的が明確になったからといって、一安心するのはまだ早い。
実際に卦を立てて、占的に応じた卦が表出されないと意味がないからである。
ちなみに、今日申し上げたいのは、所謂“不応卦”についてというよりも、占的の枠を作る工夫とでも言おうか、占的と得卦とを上手く重ね合わせる工夫とでも言おうか、とにかくそういった類のものだ。
易が余り当たらないという占者を観察してみると、勿論占考が稚拙だったり色々な原因があるとは思うが、どうも集中力の低さが原因となって占的と得卦とをうまく重ねられずにいる人も少なくないように見受けられる。
先にも書いた通り、不応卦云々以前に、集中力の無い精神浮動なる人の場合、たえず雑念が湧いて来て、それが正しい占的への集中を阻害する場合が多いのではないかと私は考える。
例えば、病占で占的を治療法の可否に定めたが、いざ筮を執る段になって、いや、やっぱり病気の成り行きを占うべきか、それとも、現状を観るのが先か、等という考えが次々に湧いてくると、それが得卦の乱れに繋がるということは十分に考えられよう。
こういう傾向に対して(特別集中力の無い人以外にも、同様の経験が思い当たる人は少なくないのではあるまいか)、占的の枠に得卦を押し込んで行く工夫も重要になって来る訳で、実に他愛無い工夫であるが、占題を紙に書くという作業が意外に効果的なようだ。
この作業により、占的の自己設定が明確化されるので、多少雑念の湧きやすい人でも、立卦時の不安や浮動性が軽減されるものと思う。
そうすると、占の記録を取る目的で毎度書き留めている人は、期せずして効果的な立卦の工夫をも行っていることになる訳だ。
昔は占的がかなり大雑把で、それ故に神明の占もあり得たのかもしれないが、記録に残っていないトンデモな誤占も亦多かったに違いない。
その点では、占的を明確化するのが当たり前のようになった昨今、入神の名人も居なくなった替りに、目も当てられない誤占を連発するようなへたっぴも居なくなって、易占もまた総中流化したようなところがあるのかもしれぬ。
ともかくも実際に他者の依頼に応えて筮を執ることが多くなると、筮前の審事の大切さ、そして難しさに直面することも多くなるのだが、筮前の審事の質によって、占的の精度も変わって来ることになる為、それが最終的に得卦にも影響して来ることは避けがたいようだ。
紀藤先生は、卦を読む小手先の技術みたいなものよりも、筮を立てる以前にどうまとめるかということが大事だと言っている。
しかし、占的が明確になったからといって、一安心するのはまだ早い。
実際に卦を立てて、占的に応じた卦が表出されないと意味がないからである。
ちなみに、今日申し上げたいのは、所謂“不応卦”についてというよりも、占的の枠を作る工夫とでも言おうか、占的と得卦とを上手く重ね合わせる工夫とでも言おうか、とにかくそういった類のものだ。
易が余り当たらないという占者を観察してみると、勿論占考が稚拙だったり色々な原因があるとは思うが、どうも集中力の低さが原因となって占的と得卦とをうまく重ねられずにいる人も少なくないように見受けられる。
先にも書いた通り、不応卦云々以前に、集中力の無い精神浮動なる人の場合、たえず雑念が湧いて来て、それが正しい占的への集中を阻害する場合が多いのではないかと私は考える。
例えば、病占で占的を治療法の可否に定めたが、いざ筮を執る段になって、いや、やっぱり病気の成り行きを占うべきか、それとも、現状を観るのが先か、等という考えが次々に湧いてくると、それが得卦の乱れに繋がるということは十分に考えられよう。
こういう傾向に対して(特別集中力の無い人以外にも、同様の経験が思い当たる人は少なくないのではあるまいか)、占的の枠に得卦を押し込んで行く工夫も重要になって来る訳で、実に他愛無い工夫であるが、占題を紙に書くという作業が意外に効果的なようだ。
この作業により、占的の自己設定が明確化されるので、多少雑念の湧きやすい人でも、立卦時の不安や浮動性が軽減されるものと思う。
そうすると、占の記録を取る目的で毎度書き留めている人は、期せずして効果的な立卦の工夫をも行っていることになる訳だ。
スポンサーサイト