蒼流庵易占法秘伝⑥
- 2017/08/26
- 19:09
本日ご紹介するのは、立卦や読卦における小手先のテクニックというより、或る種の易占上達法の部類に入るものかもしれない。
とすれば、個々のテクニックなどより更に重要な事柄であるとも言い得よう。
それは、卦を得て占考に臨む際、本卦の全辞に目を通すというものである。
場合によっては、之卦や互卦もその対象にすべきだが、取り敢えずは本卦が対象。
三変筮の辞占を常用とする占者(要するに現今の易占家の殆ど)は、辞と言えば、得爻の辞ばかり顧みて、それ以外の卦辞や彖伝、象伝などを没却してしまいがちである。
そして、繋けられた辞の“吉”とか“凶”とかの文字に引っかかって誤占してしまうことも屡々あるが(かく言う私自身も含めてのこと)、これは畢竟、それぞれの辞が全体の中においてどういう文脈で用いられているのかを知ることで防ぐことが出来る。
どういったことが前提にあっての“吉”なのか“凶”なのかを知っていなくては、辞占などとても使いこなせない。
また、彖伝や大象伝は、儒家思想からの経文解釈である為、占考に役立つことはあまり多くないが、役に立つことが無い訳でもなく、爻辞だけ読んでもさっぱり意味が分からず、不応卦を疑いそうになった時、これらが突破口になることを屡々経験する。
筮を執るたびに全辞を読むというのは些か面倒に思えるが、生きた辞に親しむにはもっとも良い方法であるし、それに辞を読むといっても必ずしも精読の必要がある訳ではなく(やるにこしたことはないが)、全体に目を走らせるといった程度でたいていは十分であるようだ。
そんな折、便利なのが、昔製作した『易経講話抄』で、一頁に必要な辞がすべて並んでおり、加えて、雑卦伝や序卦伝、白蛾の象意考など占考に用いるものは全て書き込んであるから、非常に便利(象も見られるように経文の下に大成卦の図も掲載)。
実は最初に製作した時は、そんなことは毛頭考えていなかったのだが、後になって我ながら良いアイデアだったなと思った。
或いは、このテキストのお蔭で、こういう読み方をするようになったのかもしれない。
しかし、これとて私の初案である訳では勿論無く、恐らくは『易学研究』の執筆者中、最も高度な学識を持っておられた薮田嘉一郎先生も、
私は易占に興味を持ってからすでに満二十六年を閲みするが、一占ごとに易経に相談しないことはない。
決して暗記のまま相談するのではなく、本を開いて得卦のところを始めからしまいまで熟読玩味するのである。
これは幾百千遍かわからぬが、その毎に新しい意義を読みとって感嘆もし、愉快に感じている。
と言っている。
『易経』の一つの読み方としても、参考にして頂ければ幸いです。
とすれば、個々のテクニックなどより更に重要な事柄であるとも言い得よう。
それは、卦を得て占考に臨む際、本卦の全辞に目を通すというものである。
場合によっては、之卦や互卦もその対象にすべきだが、取り敢えずは本卦が対象。
三変筮の辞占を常用とする占者(要するに現今の易占家の殆ど)は、辞と言えば、得爻の辞ばかり顧みて、それ以外の卦辞や彖伝、象伝などを没却してしまいがちである。
そして、繋けられた辞の“吉”とか“凶”とかの文字に引っかかって誤占してしまうことも屡々あるが(かく言う私自身も含めてのこと)、これは畢竟、それぞれの辞が全体の中においてどういう文脈で用いられているのかを知ることで防ぐことが出来る。
どういったことが前提にあっての“吉”なのか“凶”なのかを知っていなくては、辞占などとても使いこなせない。
また、彖伝や大象伝は、儒家思想からの経文解釈である為、占考に役立つことはあまり多くないが、役に立つことが無い訳でもなく、爻辞だけ読んでもさっぱり意味が分からず、不応卦を疑いそうになった時、これらが突破口になることを屡々経験する。
筮を執るたびに全辞を読むというのは些か面倒に思えるが、生きた辞に親しむにはもっとも良い方法であるし、それに辞を読むといっても必ずしも精読の必要がある訳ではなく(やるにこしたことはないが)、全体に目を走らせるといった程度でたいていは十分であるようだ。
そんな折、便利なのが、昔製作した『易経講話抄』で、一頁に必要な辞がすべて並んでおり、加えて、雑卦伝や序卦伝、白蛾の象意考など占考に用いるものは全て書き込んであるから、非常に便利(象も見られるように経文の下に大成卦の図も掲載)。
実は最初に製作した時は、そんなことは毛頭考えていなかったのだが、後になって我ながら良いアイデアだったなと思った。
或いは、このテキストのお蔭で、こういう読み方をするようになったのかもしれない。
しかし、これとて私の初案である訳では勿論無く、恐らくは『易学研究』の執筆者中、最も高度な学識を持っておられた薮田嘉一郎先生も、
私は易占に興味を持ってからすでに満二十六年を閲みするが、一占ごとに易経に相談しないことはない。
決して暗記のまま相談するのではなく、本を開いて得卦のところを始めからしまいまで熟読玩味するのである。
これは幾百千遍かわからぬが、その毎に新しい意義を読みとって感嘆もし、愉快に感じている。
と言っている。
『易経』の一つの読み方としても、参考にして頂ければ幸いです。
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