易は何故当たるか
- 2017/09/06
- 19:15
『易学研究』の昭和27年3月号に、加藤大岳氏を中心として行われた鼎談の筆録が「易は何故当るか」の題で掲載されている。
江藤幸彦氏や実川花子氏の占例検討から始まっているこの座談会は、続いて得卦論々争の発端となった荒井省一郎氏に話が振られたことから、必然的に話題は得卦論に移行して行くのだが、短い筆録の中に、得卦論の大凡がうまく纏められている上、当時の熱気めいたものも伝わってくるようで、中々面白い。
好評を博した記事であったと見えて、随分後の巻号でも、回顧再録として再三紙面を飾ったものと記憶している。
所詮は神学論争めいた得卦論に関するものであるから、読んだからといって何がどうなるというものでもないが、私の好きな記事につき、ご紹介しておきたいと思った次第。
ところで、この座談の中で、加藤大岳氏の易占の的中率について面白いことが出ている。
席上で読み上げられた「観卦力と的中率」と題する紀藤元之介氏(当時は改名前なので、木藤春巌となっている)の原稿がそれであるが、加藤大岳氏の易の適中率についての考察で、やや深読みの感無きにしもあらずだが、易の観卦力・読卦力を将棋の棋力に例えていて中々面白い。
少し長いが以下引用してみる。
神戸の研究会の席上、狩野老からナヤミを打明けられた。
「この前、加藤先生に先生の適中率はどの位でせう?と失礼なことを伺つたわけですが、先生はまア八〇%ぐらいですかね、といふ風なお答でした。
それから私は易占恐怖症みたいになりましてね、先生にして八〇%の当りだとすると我々は……といふこともですが、その八〇%の方に重大な問題が入つていればいいが、人生を左右する重大事が、はずれる方の二〇%に入つているとしたら……これは由々敷き問題だワイ、と思ひましてね。
うかつには筮をとれないといふことになりました。
ところで木藤先生のこれについての御感想は?」といふことでした。
一座のひとびとは、返答いかに、といつた真剣な面持で、私の唇許を見戍つてをられます。
「うかつには取らない方がいいんですがね……しかしそのお話は加藤先生の易占の総集計に対する適否の確率ではありませんよ。
何となれば、誰の占だつて当つたか当らなかつたか、確実な報告なんか有りつこありませんからね。
加藤先生は昔から結果のアンケート取つたりしてしらべたりしていやしません。
これは斯う解されたらいいと思ひます……将棋などで棋力といふことばがありますね、その中に何手先が見えるか、といふようなことも云はれています。
木村名人は二百手先が見えるとか……易の方で、これに相当するものは観卦力・読卦力です。
曾つて大阪の研究会で、私は読みについて、後になつてからこういふ観方があつた、ここのところが読み足りなかった、と悔むこと度々ですが、私など卦表に物語られているものを五〇%も読み切れないナヤミを常にもつています、結果がわかつた時、読み残しの悔にひとりで顔を赤くします、といつたことがあります。
加藤先生の八〇%といふお答は卦表の読みがそこまで尽されていることで、百のうち八十は当るが、二十位までは誤断があるといふことぢやありません。
この点お間違ひないように願ひます。
その読み不足について、具体的な例が昨日有りましたから、御報告しませう……昨日、静岡の掛川の人だといひますが、娘さんと二人で奈良見物に来て一寸寄つたのです。
運勢を見て欲しいといひまして、出たのが山天大畜の六四です。
かんたんな判断をして上げたところ、その人は下に自動車を待たしてあるから急ぐ、と靴を履いて外に出られました。
フツと童牛の牿が口に出た。
モーシモーシ旅の人、とよんで、今かかつていること、いまのうちなら相手が未だ弱いところだから、ねぢふせることが出来ますよ、と云つて上げたのです。
その人が吃驚して二足三足戻つて、いやありがたうございました、実はそれが目下の大問題だつたのです、神様のお告げありがたうありがたうと大喜びでした。
まア、恥かしい次第ですが、読み余しとはこのようなものです。
一番大切なところを読み切れないと、易の偉力・効力が半減してしまふわけで、出来るだけ慎重に、ウカツならざる占断をしたいものですね。」
と答へました。
狩野老もハハハと笑つて、ナルホドナルホドと肯いておられました。
この適中率80%の問題について、加藤大岳氏は何も発言していないので、紀藤氏の援護射撃が文字通り的を射たものかどうか、定かではない。
幸い、加藤氏の実際の適中率が如何程のものかは、『易学研究』の大勢占を史実と突き合わせて行けば明瞭となろうが、そんなつまらぬことに時間を割く余裕はないので、どなたかお暇な方にお任せしたいと思う。
ただ、『易学研究』昭和36年12月号における「十二月に於ける時運の推断」では、
年末集計という所だが、一年間の此の推断を振返って検討してみると、考査評の成績は余り香しくない。
近年に於ける最も不成績の年のような気さえする。
いろいろな理由で、努力を集中することが出来ず、顧みて忸怩たるものを感じなければならぬ結果となるだろうが、この時運推断に限らず、すべてに於て其の憾みが深い。
後悔を噛みしめる其のホロ苦い味は堪らないので、早く旧い年が終つてくれないかという気持がする。
新しい年が来たら、それを機会に出直そうという期待からなのであるが、新しい年が来たところで、結局は其の年末にまた同じ後悔を繰返すだけに過ぎないのだろうけれども。
とあり、正直に不成績を吐露する辺り、氏の誠実さを感じると共に、まず、この辺りの年から検証してみるのが良いかもしれない等と意地の悪い考えが頭をかすめる。
それはさておき、座談会で読み上げられた紀藤氏の原稿を読んで、私はフト、『続古事談』巻第五に出ている安倍泰親(1110~1183)の占話を思い出した。
江藤幸彦氏や実川花子氏の占例検討から始まっているこの座談会は、続いて得卦論々争の発端となった荒井省一郎氏に話が振られたことから、必然的に話題は得卦論に移行して行くのだが、短い筆録の中に、得卦論の大凡がうまく纏められている上、当時の熱気めいたものも伝わってくるようで、中々面白い。
好評を博した記事であったと見えて、随分後の巻号でも、回顧再録として再三紙面を飾ったものと記憶している。
所詮は神学論争めいた得卦論に関するものであるから、読んだからといって何がどうなるというものでもないが、私の好きな記事につき、ご紹介しておきたいと思った次第。
ところで、この座談の中で、加藤大岳氏の易占の的中率について面白いことが出ている。
席上で読み上げられた「観卦力と的中率」と題する紀藤元之介氏(当時は改名前なので、木藤春巌となっている)の原稿がそれであるが、加藤大岳氏の易の適中率についての考察で、やや深読みの感無きにしもあらずだが、易の観卦力・読卦力を将棋の棋力に例えていて中々面白い。
少し長いが以下引用してみる。
神戸の研究会の席上、狩野老からナヤミを打明けられた。
「この前、加藤先生に先生の適中率はどの位でせう?と失礼なことを伺つたわけですが、先生はまア八〇%ぐらいですかね、といふ風なお答でした。
それから私は易占恐怖症みたいになりましてね、先生にして八〇%の当りだとすると我々は……といふこともですが、その八〇%の方に重大な問題が入つていればいいが、人生を左右する重大事が、はずれる方の二〇%に入つているとしたら……これは由々敷き問題だワイ、と思ひましてね。
うかつには筮をとれないといふことになりました。
ところで木藤先生のこれについての御感想は?」といふことでした。
一座のひとびとは、返答いかに、といつた真剣な面持で、私の唇許を見戍つてをられます。
「うかつには取らない方がいいんですがね……しかしそのお話は加藤先生の易占の総集計に対する適否の確率ではありませんよ。
何となれば、誰の占だつて当つたか当らなかつたか、確実な報告なんか有りつこありませんからね。
加藤先生は昔から結果のアンケート取つたりしてしらべたりしていやしません。
これは斯う解されたらいいと思ひます……将棋などで棋力といふことばがありますね、その中に何手先が見えるか、といふようなことも云はれています。
木村名人は二百手先が見えるとか……易の方で、これに相当するものは観卦力・読卦力です。
曾つて大阪の研究会で、私は読みについて、後になつてからこういふ観方があつた、ここのところが読み足りなかった、と悔むこと度々ですが、私など卦表に物語られているものを五〇%も読み切れないナヤミを常にもつています、結果がわかつた時、読み残しの悔にひとりで顔を赤くします、といつたことがあります。
加藤先生の八〇%といふお答は卦表の読みがそこまで尽されていることで、百のうち八十は当るが、二十位までは誤断があるといふことぢやありません。
この点お間違ひないように願ひます。
その読み不足について、具体的な例が昨日有りましたから、御報告しませう……昨日、静岡の掛川の人だといひますが、娘さんと二人で奈良見物に来て一寸寄つたのです。
運勢を見て欲しいといひまして、出たのが山天大畜の六四です。
かんたんな判断をして上げたところ、その人は下に自動車を待たしてあるから急ぐ、と靴を履いて外に出られました。
フツと童牛の牿が口に出た。
モーシモーシ旅の人、とよんで、今かかつていること、いまのうちなら相手が未だ弱いところだから、ねぢふせることが出来ますよ、と云つて上げたのです。
その人が吃驚して二足三足戻つて、いやありがたうございました、実はそれが目下の大問題だつたのです、神様のお告げありがたうありがたうと大喜びでした。
まア、恥かしい次第ですが、読み余しとはこのようなものです。
一番大切なところを読み切れないと、易の偉力・効力が半減してしまふわけで、出来るだけ慎重に、ウカツならざる占断をしたいものですね。」
と答へました。
狩野老もハハハと笑つて、ナルホドナルホドと肯いておられました。
この適中率80%の問題について、加藤大岳氏は何も発言していないので、紀藤氏の援護射撃が文字通り的を射たものかどうか、定かではない。
幸い、加藤氏の実際の適中率が如何程のものかは、『易学研究』の大勢占を史実と突き合わせて行けば明瞭となろうが、そんなつまらぬことに時間を割く余裕はないので、どなたかお暇な方にお任せしたいと思う。
ただ、『易学研究』昭和36年12月号における「十二月に於ける時運の推断」では、
年末集計という所だが、一年間の此の推断を振返って検討してみると、考査評の成績は余り香しくない。
近年に於ける最も不成績の年のような気さえする。
いろいろな理由で、努力を集中することが出来ず、顧みて忸怩たるものを感じなければならぬ結果となるだろうが、この時運推断に限らず、すべてに於て其の憾みが深い。
後悔を噛みしめる其のホロ苦い味は堪らないので、早く旧い年が終つてくれないかという気持がする。
新しい年が来たら、それを機会に出直そうという期待からなのであるが、新しい年が来たところで、結局は其の年末にまた同じ後悔を繰返すだけに過ぎないのだろうけれども。
とあり、正直に不成績を吐露する辺り、氏の誠実さを感じると共に、まず、この辺りの年から検証してみるのが良いかもしれない等と意地の悪い考えが頭をかすめる。
それはさておき、座談会で読み上げられた紀藤氏の原稿を読んで、私はフト、『続古事談』巻第五に出ている安倍泰親(1110~1183)の占話を思い出した。
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