占は十にして七あたるを神とす
- 2017/09/07
- 18:06
祇園の社焼失の時、御うらおこなはるるに、陰陽師泰親うらなひ申ていはく、
「六月壬癸日、内裏焼亡あるべし」。
六月廿六壬子、土御門内裏やけにけり。
「稀有の事」と人いひけり。
「本文にいはく、“占は十にして七あたるを神とす”泰親がうら、七あたる。上古にはぢず」とぞ鳥羽院仰られける。
上記でも内容はよく判るが、以下『奇談の時代』より、百目鬼恭三郎の訳を引いておく。
久安四年(1148)に京の祇園社が焼けたとき、卜占が行われ、陰陽師泰親が「六月二十六日に内裏が焼けるだろう」と予言したところ、ちょうどその日に内裏が焼失したので人々はびっくりした。
占いは十のうち七当たれば神業というが、泰親はそのくらい当たる、と鳥羽法皇が仰せられた。
的中率七割で神業なのだから、八割の加藤大岳先生はやっぱり凄い!などと言うつもりはない。
ただ、ここに鳥羽法皇の言葉として、平安期の陰陽師による卜占の実際が証言されていることに、興味深いものを感じたまでのことだ。
「六月壬癸日、内裏焼亡あるべし」。
六月廿六壬子、土御門内裏やけにけり。
「稀有の事」と人いひけり。
「本文にいはく、“占は十にして七あたるを神とす”泰親がうら、七あたる。上古にはぢず」とぞ鳥羽院仰られける。
『続古事談』巻第五より
上記でも内容はよく判るが、以下『奇談の時代』より、百目鬼恭三郎の訳を引いておく。
久安四年(1148)に京の祇園社が焼けたとき、卜占が行われ、陰陽師泰親が「六月二十六日に内裏が焼けるだろう」と予言したところ、ちょうどその日に内裏が焼失したので人々はびっくりした。
占いは十のうち七当たれば神業というが、泰親はそのくらい当たる、と鳥羽法皇が仰せられた。
『奇談の時代』人異篇第一より
的中率七割で神業なのだから、八割の加藤大岳先生はやっぱり凄い!などと言うつもりはない。
ただ、ここに鳥羽法皇の言葉として、平安期の陰陽師による卜占の実際が証言されていることに、興味深いものを感じたまでのことだ。
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