紀藤先生関連の品々の中でも、とりわけ価値が高いのは、この小汚い手帳である。
といっても実際にはこれは手帳ではなく、まだ上下巻に分かれる前の一冊本時代の岩波文庫『易経』。
その昔、薮田嘉一郎先生が、以下の如き文章を『易学研究』誌上に発表されたことがある。
旧版『易経』を私は随分愛用した。
しかし私以上の愛用者を紀藤元之介氏に見た。
戦後、奈良で初めてお目にかかったとき、紀藤先生が所持されていたこの本は、「葦編三絶」の見本のような、ボロボロのものであった。また、紀藤先生は卦爻辞をすべて暗記しておられたそうだが、鑑定に際しては必ずテキストを紐解くようにされていたといい、まさにそのテキストこそが、上掲写真のものなのである。
奥付には昭和34年とあるから、薮田先生が見たボロボロ文庫の後継と思われるが(恐らく何冊か潰されたに違いない)、ひょっとすると昭和34年以降晩年まで使い続けられたのは、まさしくこれではなかったか。
しかも、例によって著者たる高田真治博士(1893~1975)より贈られた際の謹呈署名入りで、「陶軒」とあるのが高田博士の号である。
すぐに目当ての卦が引けるように索引のシールがペタペタ貼られて、紀藤流にカスタマイズされており、中にはところどころに書き込みがなされている。
昭和28年発行の『易占講義 第一巻』も初見の資料である。
全10巻予定と巻末に見えるが、或いは第一巻のみで中絶となったものかもしれない。
目次
同じく昭和28年のもので、四遍筮法を公にされた最初期の資料。
目次には、紀藤先生による「楽天知命」の書き込みがある(誰かに贈るつもりのものであったか?)。
『藤氏翼伝 作易の本義』も初期の重要な述作の一つ。
昭和32年11月に移転前の法輪寺で開かれた法要および講演会の記録。
二代目玄龍子やら小玉呑象やら仁田丸久やら、講演内容の抄録を見ると演者は大物ばかりで驚かされる。
紀藤先生は催眠術の研究にも取り組まれたが、その唯一の継承者が庵主も大変お世話になっている麻野勝稔先生である。
すでに麻野先生のお手元にも一冊しか残されていないということだ。
紀藤先生が高島嘉右衛門の評伝(現在東洋書院より『乾坤一代男』として刊行されている)を書かれる際に参考にされたらしい『高島翁言行録』も岩波易経同様葦編三絶に近い状態である。
『周易裏街道』で有名な仁田丸久先生の『相場爻辞占秘開』も、ペラペラの小冊子ながら貴重なもののようだ。
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