我が国の易占史を語る上で避けて通れないのが
足利学校であるが、初代の庠主である快元(?~1456)からして、そもそも易学で有名な人物であったらしい。
その快元の易学を受講した最初の禅僧が、柏舟宗趙(1416~1495)で、応永二十三年に近江に生まれ、法諱を宗趙、道号を柏舟、号を与派といった。
近江の永源寺で出家し、傑岩禅偉に参禅し、のち法を嗣ぐ。
足利易は柏舟を通じて、まず相国寺系の横川景三・景徐周麟・桃源瑞仙の三禅僧に伝授され、以後、戦乱を避けた五山禅林に浸透したが、これには易学講述の書としての柏舟『周易抄』と、桃源『百衲襖』の二書が、その濫觴をなしたと共に以後の指針の書となって、多くの人々に筆写され継承されたことによるという(今井宇三郎「筮法小攷」)。
永源寺(滋賀県東近江市永源寺高野町41)
柏舟は文明元年(1469)近江に戻り、曹源寺住持となり、さらに同十五年には永源寺住持となった。
永源寺は康安元年(1361)の創建で、開山は寂室元光(1290~1367)、開基は宇多源氏の佐々木氏頼(1326~1370)であるが、またしてもここに
宇多天皇の後裔が登場するのが面白い。
境内はなかなか広くて、紅葉の名所としても有名な場所らしい。
山中には古めかしい墓碑が散在していて、どこかに柏舟の卵塔でも無いかと探し回ったが、結局発見には至らなかった。
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