細合斗南~大阪易儒墓参録~
- 2017/12/19
- 18:04
細合斗南墓(法楽寺/大阪市東住吉区山坂1-18-30)
ハカマイラーとしてのキャリアを積んで来て、自分ではその力量にまずまずの自信を持っているのだが、それでも時に弘法にも筆の誤りがあるように、蒼流庵主人にも見落としや探し損ねということがないではない。
例えば、写真の細合斗南(1727~1803)の墓などもその一つで、この人は混沌社に参加し、池大雅や高芙蓉らと交わった文人気質の学者であるが、多くの著述の中には『周易説統』なる易書もあったという。
法楽寺(余談ながらここには以前ご紹介した慈雲尊者の父母の墓所がある)を探墓したのは確か2011年あたりだったかと記憶するが、その時は見つけられず、大して広くない墓域であった為、てっきり無縁処理されて現存せぬものと思っていた。
京都の高田別院専修寺にも墓碑ありと記載を見るので、こちらは二度探してみたが、無縁墓域にも見い出せず、すっかり諦めていたところ、南越ハカマイルの大家ちゃお・めいさんより、法楽寺の墓碑が現存していることを教えられた。
さっそく確認しに行くと、なるほど確かに見つかった。
それほど判りにくい場所という訳でもないのだが、何故見つけられなかったのか、未だに不思議な気がしている。
ただ、ちゃお・めいさん自身、三度目の探墓でようやく発見に至ったというから、斗南先生は恥ずかしがり屋で、掃苔家が来ると姿を隠そうとするのかもしれない。
ところで、『近畿墓跡考』には、三か所に分骨したとあり、うち一か所は、甲山の先兆とある。
甲山といえば、甲山事件で有名な西宮の甲山が真っ先に思い浮かぶものの、儒者の類で甲山に墓があるという話は聞いたことがないし、京丹後にも甲山というのがあるそうだが、斗南自身は特に京丹後に縁故は無さそうで、この甲山がどこを指したものか見当がつかぬ。
12月22日追記:ちゃおめいさんの其の後の調査により、斗南は西宮の甲山に登っていることが判明。恐らく分骨されたのは西宮の甲山と考えられるが、『近畿墓跡考』には碑を建てたことは書かれておらず、分骨を埋めたのみかと思われる。
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