華岡青洲分墓~富山漢方史跡~
- 2017/12/26
- 16:59
華岡青洲分墓(海岸寺/富山県富山市梅沢町3-19-27)
和歌山にある華岡青洲の墓は何度か訪れているが、昨年小太郎の『漢方研究』(8月号)に載った服部征雄先生(富山大名誉教授)の記事「富山海岸寺の華岡青洲の墓」によって、北陸に青洲の関連史跡があることを教えられた。
この墓碑は、青洲の十三回忌(1847年)に、門弟の西野大珉が分骨を許されて海岸寺に建立したものという。
和歌山の華岡家墓地に「門人越中西野元甫敬建」と刻まれた一対の灯籠があり、服部先生はこの西野元甫が大珉と同一人物ではないかと推測されている。
大珉は富山町の志甫屋喜右衛門の次男で、文政三年(1820)十月に春林軒に入門した人だが、春林軒では塾頭を務めたというから、かなりの人物であったらしい。
大珉の婿養子となって医業を継いだ彦祐も、嘉永三年(1850)に春林軒に入門し、その後、藩医となったが、明治十二年に北陸がコレラの大流行に見舞われた際、町民の治療に尽力するも、自らこれに罹って他界したという。
西野家の末裔は現在京都に居られ、毎年先祖供養に来られるそうだ。
スポンサーサイト